続きをすぐ書かないと、中断した記事はダメだなと思った。
中断すると井戸水ポンプが効かなくなるみたいな。
今日 安達弘さんがFacebookに書いていた。呼び水になりそうなので試してみる。
安逹さんが書いていた。
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若い駆け出しの頃、有田和正氏や野口芳宏氏から学んだことの一つに「自分の考えをノートに書きなさい」という指導言があった。これはその後の自分の授業において最も大事な技術の一つとなった。なぜなら、この指示でクラスの全ての子どもの頭の中を覗くことができるからである。そして、全ての子どもの意見に○を付け
安心感を与えて自信を持たせることができる。さらにこの後の話し合いを計画的に進めることも可能になる。つまり必須のアイテム。
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これを読んでぼくも同じだったことを思い出した。
そしてこの「自分の考えをノートに書きなさい」という指導言は定年まで使い倒した。
安逹さんが書いていることもそうだが、ぼくにとっては「考えることは書くことだ」「書いて初めて考えていることがわかる」というちょっと原理主義的なところまで行きついていた。
ところで、この指導言がぼくや安逹さんのような駆け出しの教師の強い味方になったのはなぜだろうか?
これがまさに前回中断した偉大だった向山洋一の手柄なのだ。
向山洋一は「教育技術を共有財産にしよう」と呼び掛けて「教育技術の法則化運動」を始めた。1980頃だったと思う。なぜ覚えているかというと、ぼくが明星大学通信で小二普通の免状をもらって本屋の店員を辞めた年だからです。
向山の偉大さをズバリ言えばこうだと思う。
・教師の技術の大半は言葉でできている。
・(だから)教師は子供に何を指示したかではなく、指示するために何と言ったか「言葉通り記録しましょう」 また 何を問うたかではなく「発問を言った言葉通り記録しましょう」と提案したのです。
この提案から、その後の教育技術的物語のすべてが始まったのでした。
その代表格が前の「自分の考えをノートに書きなさい」だったのです。
(教師の話を聞かせる)「おへそを先生に向けなさい」
「教室をきれいにします。これからみんなでゴミを拾います。一人5つ拾ったら席につきなさい」
「全員教科書を持って立ちなさい。5ページの1行目から音読します。読み終わったら座ります」
等々。
間違いがあるかもしれないが、向山が「片々の教育技術」と言った言葉を、片っ端から使ってみて効果を確かめた記憶がある。
そして、この1時間の授業版が追試できる授業記録になっていくのです。
そういう恩をみな忘れてしまったようなので書いておこうと思ったのです。
今日はここまで。
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