月刊『正論』の今月号に竹田恒泰さんの「日本はいつ建国したか」という論文が載っていて、これがぼくの以前から書いたり言ったりしてきたことと符合するので紹介しておきます。
第21回正論新風賞を受賞した論文です。
簡単にいうと
皇紀の紀元を西暦でBC660年というのはやめようということ。
「日本暦では今年は2681年だが西暦で言えばおよそ2000年だ」
というふうにしよという提案です。
記紀に記された初期天皇の宝算は神武天皇137年や崇神天皇120年など現実にはあり得ない神話的な数になっているが、明治5年に皇紀を建てたときにこれらをすべて合算して「辛酉」の年を当てはめてBC660年としました。
今日では、当時の暦が春秋年という現在の1年を2年と数えたからだというのが有力な説になっている。これは魏志倭人伝にも出てくる。そうとらえれば神武天皇は68年、崇神天皇は60年となり4かなり合理的な数字になる。竹田説はこれに基づいています。
竹田さんの紀年論はほかにもいくつかの根拠が示されているので詳しくは正論を見てください。
ぼくも10年ほど前から紀元1世紀の前半くらいが神武天皇即位の最も合理的な年代ではないかと考えてきたので、竹田さんの論文はまさに我が意を得たりでした。
ここから先はぼくの考えです。
竹田さんは西暦とは区別して日本暦(皇紀)を考えればいいのではないかいうことですが、ぼくは明治5年の政府決定を見直した方がより合理的ではないかと考えてきました。日本暦(皇紀)が3~4世紀まではそれ以後の1年を2年と数えてきたとにして「今年は皇紀2681年」とするという考え方に軽い違和感があるからです。
西暦紀元前50年から紀元1世紀までのどこかの「辛酉」の年を皇紀元年に設定し直すのが良いと考えてます。皇紀をより合理的なものに編成し直すのです。それでいけば今年は皇紀19○○年または20○○年になります。
あるいは思い切って皇紀を廃棄することもあり得ると思います。
そもそも皇紀のような「ある始点を決めて今日までずっと飴のように延びてきた時間の観念」(小林秀雄)というのはそもそもわが国にはありませんでした。皇紀はま明治初年の欧米文明に対する劣等感を抱いていた時代の「西暦の模倣」によって生まれた暦だからです。
日本はそれまでは元号(年号)を暦としてきた文明ですから、明治以後の近代的な観念を受け入れて以後は(現在もですが)、グローバルな物差しになってしまった西暦を使えばよいのだと思います。現在がそであるように、元号と西暦の併用で良いのではないでしょうか。
以上がぼくなりの考えです。
もちろん竹田方式でもいいのですが、共通理解ができるまではぼくも自分の考えを主張していくことにします。
たぶん皇紀元年が西暦紀元前660年でもいいじゃないかという意見が多数であることは承知しています。しかし、考古学などの知見を総合すると、それで神武天皇が神話上の人物であり実在しなかったという主張とあまり変わらなくなってしまうのです。
これはどうもすっきりしません。
現在は欠史八代が定説ですが、神武天皇から実在していたという直感が否定しがたく、これを日本国民の常識にしたいと願ってやみません。
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