物部氏のことが気になる



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聖徳太子1「仏教伝来」の授業では『日本書紀』の推古紀を教材にしました。
蘇我稻目が仏教導入の推進派(外来文化派)で物部守屋が反対派(伝統保守派)で議論します。
欽明天皇は金銅仏に感動して気持ちが揺らいでいますが、断固として「天つ神・国つ神を春夏秋冬お祭りするのが大王(天皇)のお勤めではありませぬか」と主張しているのが物部守屋でした。日本書紀によれば物部氏の祖はニギハヤヒノミコトの子孫です。
ニギハヤヒノミコトとは神武天皇と同じく天原から下りてきた天神の子です。しかも神武天応より先にヤマトにアマノイワフネに乗って降りてきてヤマトの国づくりを進めていた方でした。
 
日本書紀をはじめて読んだときから気になっていましたが、小中学校の歴史の範疇外だったのでこれまであんまり読まないできました。
齢古希を超えましたのでこれまで禁欲してきた興味関心も拾って行きたい思います。
 
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『日本書紀』によれば、物部氏の祖ニギハヤヒノミコトです。 

 

神武天皇は最後に長髄彦(ナガスネヒコ)を攻めた 

 

ナガスネヒコは言う。 

 

「昔、天神の御子が天磐船(アマツイワフネ)に乗って天より下りてきました。 

名を櫛玉にぎ速日命(クシタマニギハヤヒノミコト)と言います。 ニギハヤヒノミコトは私の妹・三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)をめとり、可美真手命(ウマシマデノミコト)が生まれました。 

        *『先代旧事本紀』では宇摩志麻治命(ウマシマジノミコト) 

そこで私はニギハヤヒノミコトを君として仕えてきました。 

いったい天神は二人いるのですか? 

あなたは天神の子を名乗って人の土地をだまし取ろうとするのではありませんか」 

 

神武は言う。 

 

「天神の子は多くいる。あなたの君とする方が天神の子ならその証拠を持っているはずだ』 

 

ナガスネヒコは天羽羽矢(アマノハハヤ)と歩革叉(カチユキ)を出して見せた。 

神武も同じ物を見せた。ナガスネヒコは戦いをやめなかった。 

このときヤマトに君臨していたニギハヤヒはナガスネヒコを殺して神武天皇に帰順した。 

神武はニギハヤヒを天神の子であると信じて寵愛した。 

 

 

このニギハヤヒが物部氏の祖であると『日本書紀』は伝える。 

 

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物部氏の先祖は神武天皇より先にヤマトの王だった方なのではないですか!

そして物部氏は北九州にも吉備にも尾張にも諏訪にも伊豆にも常陸にもいたのでした。

 

IMG_2332.jpg

 

 

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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