今日は若い教師の追試実践で「昭和の戦争の授業」を紹介します。
授業者は中学校の社会教師(東京)I先生です。
世界恐慌から太平洋戦争の開戦まで7時間の授業を通して「戦争に至る原因は何だったのだろうか?」を考えさせるたいへん大きな構想の授業で、これは画期的な実践だと思います。
今日は彼のとりあえずのレポートを掲載しますが、実践の詳細については後日公にされる予定です。
「にほんがすきになる!歴史授業」はまだ各学校で孤立した実践であり、全国でもほんのわずかしかいませんが、I先生のようにリスクを恐れず挑戦する教師たち少しずつ現れてきています。
このままの教育では日本がなくなってしまう!と考える志ある教師たちです。
彼等は、先人に共感し、感謝し、よりよい日本の未来のたまに必死で考える中学生を育てています。国のために戦い命を捧げた先人への敬意と感謝が持てる学習をめざしています。
しかし、政府も文科省もかつての日教組に洗脳され「日本が一方的に侵略した戦争」「日本は悪い国」という東京裁判と中国共産党の立場で叙述している教科書をよしとしているので、これを正そうとする教師が学校では迫害されてしまうのです。日本を愛し日本の正しい教育を探求する教師たちが、平静な気持ちで任務に取り組めるような国にもどしていきましょう。そのためにはこのような勇気ある若い教師たちを心ある国民が声を上げて応援することが大事です。
では、I先生のレポートをどうぞ。
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戦争の授業を単元をつらぬく問い「戦争にいたる原因は何だったのだろうか」と設定し、全7時間で行いましたので、報告させていただきます。
中学校・東京書籍指導書に章全体の思考・判断・表現の評価基準例として「日本の政治・経済・外交の動きを世界の動きと関連させながら考え、当時の日本のとるべき道を判断し、自分の意見を述べている」とあるので、表向きもこれで発表できるかもしれません。
教材はほとんど齋藤先生、横浜の安達弘先生、服部剛先生の実践を追試しています。
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今回は、日本が第二次世界大戦に参戦(大東亜戦争)するまでの過程を大きな単元とし、単元をつらぬく問い「戦争に至る原因は何だったのだろうか」を設定して考察させました。
それぞれの授業展開では、発問を一つか二つにしぼる工夫をして、当時の日本がとるべき道を考えさせ、何が戦争の原因となったのかという問題意識をもたせました。
各授業の発問
①世界恐慌とブロック経済
発問「日本が恐慌から脱出するためには、どのような方法があるでしょうか」
②欧米の情勢とファシズム
発問「ファシズムと共産主義の共通点はなんでしょうか」
発問「当時の日本の政治体制はファシズムといえるでしょうか」
③昭和恐慌と政党内閣の危機
発問「あなたが外務大臣だったら協調外交・積極外交どちらをとりますか」
④満州事変と軍部の台頭
発問「あなたが総理大臣だったら満州をどうしますか」
⑤日中戦争と戦時体制
発問「あなたが総理大臣だったら蔣介石(国民政府)と話し合うか、汪兆銘(新
国民政府)と話し合うか」
⑥第二次世界大戦の始まり
発問「日本は北進するべきか、南進するべきか考えましょう」
⑦太平洋戦争の開始
「あなたが総理大臣だったら次のⅠ~Ⅲのどれを選択しますか」
Ⅰアメリカとの交渉を続ける
Ⅱアメリカと開戦する準備をする
Ⅲアメリカと交渉を続けつつ、開戦に備えて準備をする
⑦の授業を終えて、これまでの学習から「戦争の原因は何だったと思うか」と考えさせてワークシー トに記入させました。
生徒からは次のような意見が見られました
・いつから日本が敵視されたかと考えると、アメリカが狙っていた満州を日本が手に入れたからと思います。中国を利用して、だんだん日本が孤立するようにしたのかなとも思います。国際連盟を抜けたのも日本にとってはあまり良いこととは言えなかったのでは…と思いました。(女子)
・戦争に至る原因はいろいろあったんだと思いますが、世界恐慌による「もてる国」「もたざる国」で分かれてしまったのが大きな境目だったんじゃないかなと思います。(女子)
・戦争の原因を一つに決めてしまうのは無理だが、どこの国やどの選択が悪かったと言い切ることも無理だと思う。資源や財産、土地などを求めあうので、この当時は避けて通れなかったかと。(男子)
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・戦争の原因は外国から日本への経済圧迫だと分かった。日本は、昭和天皇のご意思でもあった「戦争を避け、平和を求めよ」という考えだったのかもしれない が、しかたなく戦争をしたのだと思った。(男子)
・結局アメリカもイギリスもフランスもオランダも日本がこわかったのだと思います。なぜなら1853年に日本が開国してから約100年で資源などもあまりない「もたざる国」なのに欧米諸国に追いつく技術力や国民性などがあるから。だから、アメリカは日本を弱体化させたかったのだと思いました。(男子)
・日本は柳条湖事件あたりから、中国の軍閥と対立して、満州事変、国際連盟の脱退で、蔣介石に欧米がついてこのようなことが起こったのかなと思いました。
(男子)
・私はずっと日本が戦争をけしかけて始まったのだと思っていましたが、仕方なく始めたことが分かって良かったです。戦争に負けてからどのように今のようなアメリカとの関係を築いたのか、満州の日本人をどうしたのかが気になります。また、戦争というあやまちを…といいますが、しょうがなかったのではないかと
思います。(女子)
・よってたかって日本を追いつめてひどいと思いました。明治維新から、いろんな人物達が時間をかけて築いてきたものがこんなに一気に崩されようとしているので、だから負けると分かってても戦争しなくてはいけない、するべき時っていうものがあるんだと思いました。(女子)
多くの生徒は、日本が戦争をしたくてしたわけではないと考えていました。
昭和初期から続く不況、中国問題を解決できない政府。ソ連共産主義の脅威。アメリカ、イギリスなどの国民政府への肩入れやブロック経済。
戦争が日本だけの暴走で起きたという偏りすぎた日本悪玉史観からの脱却をしたいところです。
一方で、次のような考察もありました。2人とも歴史について予習をたくさんしている生徒です。
・日本が欧米や他の大国と肩を並べようと他国の領土に侵略したのが一番の原因だと思いました。国の情勢は一度悪いことが起きるとどんどん悪い方向に向かっていくので、他の国に左右されないことが必要だなと思いました。(男子)
・戦後の一時期を除き、日本は常に不況と経済制裁によって困り続けていて、少しかわいそうだった。しかし、日本が本国でおとなしくしていれば最初から何も問題はなかっただろうから、自業自得の面もあるかと思った。(男子)
この考察は、ロシアの南下や共産主義の脅威などの視点が抜けています。]
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日本が海外に植民地をもうけた理由の多くが国防のためであって、欧米の植民地支配とはその実態が違ったことに気づかせたかったです。
日清戦争から始まる日本の侵略戦争という歴史観は共産党の歴史観そのものであるため、読む書籍のよっては偏ってしまう生徒もいると思います。
いずれにせよ、生徒の多くは「戦争に至る原因は何だったのだろうか」という問いに対し、これまでの学習を振り返りながら考察できていました。
答えがない「問い」だからこそ、生徒のさまざまな意見が出やすく、自由な歴史観を醸成できると思います。
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