最近昭和18(1943)年の尋常小学校国定教科書が何冊か復刻されました。
大東亜戦争まっただ中の小学校でどんな勉強をしていたかがわかり興味深い教科書です。
ご一読をおすすめします。
ご一読をおすすめします。
これは昭和18(1943)年発行の国定教科書の復刻です。
まさに大東亜戦争真っただ中です。
非常時の教科書はこうだったか!となります。
なので教科書の末尾はこうなっています。
非常時の教科書はこうだったか!となります。
なので教科書の末尾はこうなっています。
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私たちは、楠木正成が、桜井の里で、正行をさとしたことばを、よくおぼえています。
「(略)・・・敵寄せ来らば、命にかけて忠を全うすべし。これぞ汝が第一の孝行なる」
私たちは、一生けんめい勉強して、正行のような、りっぱな臣民となり、天皇陛下の御ために、おつくし申さねばなりません」
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そしてページの上半分は靖国神社が描かれていました。
まさにこの子たちは数年先には戦場に立つことが想定されており、歴史教育は戦える少国民を育てる使命を負っていたわけです。
子供たちにとっても歴史は我がことであったに違いなく、それはまさに切実な学びであったろうと思います。
当然ですが、戦後50年目にスタートした「日本が好きになる!歴史授業」は、いろいろな面でこの教科書が想定している歴史教育とは異なっています。そもそも水戸学の忠君愛国をここまで引きずってきた昭和のはじめの教育とは大きく異なっていました。
1995年にスタートしてしばらくのあいだ、私どもは「右翼」や「軍国主義」や「皇国史観」やその他さまざまなレッテルを貼られて攻撃を受けたわけですが、今思えばそれはあまりに過剰な反応でした。しかしそのおかげで少しは教育界でその存在が認知されました。そのその後の長い黙殺時代を考えるとそのヒリヒリするような熱い数年はなかなか得がたい経験でした。
というわけで「日本が好きになる!歴史授業」は皇国史観にはなれませんでした。
天皇の国日本の歴史をしっかり教えることと「皇国史観」は何か別のものでした。それでとりあえず私どもは「自由主義史観」(藤岡信勝)と呼んでいたわけです。
天皇の国日本の歴史をしっかり教えることと「皇国史観」は何か別のものでした。それでとりあえず私どもは「自由主義史観」(藤岡信勝)と呼んでいたわけです。
なかなか進みませんがこのあたりのことを少し掘り下げていきたいと思っています。自分のための覚え書き程度のものですが時間をかけてやっていきます。
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