「日本が好きになる!歴史全授業」は小中の歴史授業の提案です。
が、カリキュラムの物語ができてみると、それは一つの歴史観でもあると気づきました。
大風呂敷を広げるつもりはありませんが、ちょいとだけ書いてみます。
1 2000年に2回の国づくりをした国日本
わが国では、縄文時代から弥生時代への変化が、そのまま最初の国づくりの始まりでした。
縄文時代も北はシベリア、南は揚子江の南方面との交流がけっこうありましたが、シナ大陸にいわゆる文明国家ができるとそれが外圧になって平和で豊かな縄文文化が終わります。
この外圧はシナの北方黄河文化でそれまで行き来のあった南方揚子江文化とは異質なシナでした。
先人がこのとき縄文時代を終わらせていなければ、早ければ13世紀(モンゴル)遅ければ16世紀(カトリック)によって踏みにじられて終わっていたでしょう。もしハワイや南洋のように大陸から遠ければかろうじて19世紀までは縄文時代でした。
このときアニミズムの日本列島に上陸してきたのが、灌漑用水を持つ大規模稲作(富の蓄積)、戦争文化と金属器、文字(学問・宗教)、国家制度などです。
こうして大和朝廷の日本統一(神武建国は数世紀前)があり、シナの漢字文化の強い影響下で7~8世紀に日本的律令国家が建設されていきました。その際に基本方針として受け継がれていったのが聖徳太子の考え(考え)だと思われます。
君主が神々の子孫であるような世界の古代国家はすべて滅亡しましたが、わが国だけは王朝交代もなく同じ「日本」として継承されていきました。世界中で日本だけが2回目の国づくりに挑戦しなければならなかったのはこのためです。
2回目の近代の国づくりもまた西洋の近代文明という外圧に強いられて始まりました。そうしないと西洋人の奴隷になるしか選択肢はなかったからです。縄文文明と同様に江戸文明も世界史のなかで例外的なくらい「文明的」な文明でしたが、滅びるか否かの前では第2の国づくりで再生するほかありませんでした。
このときの外圧は「近代的なるもの」「西洋的なるもの」のすべてでした。最も重要なのは人種差別思想をベースにした弱肉強食というルールでした。表向きは「法による文明」を装いますが最後の結論は軍事力(戦争)が決めるという「文明」です。江戸文明とは真逆でした。
武士たちは何とかこれに対応しながら有色人種では日本だけが、近代化を成し遂げ西洋列強と対等につきあえる独立国を建設しました。
2 聖徳太子の政策と日本
詳細は省きますが、いま日本は滅亡か再生かという岐路に立っています。
いまこそ第3の国づくりを進めなければならないと考えています。
もう現在ある日本の政治勢力はどれも信頼できません。とりわけ「よりまし」といわれる自由民主党の政治が続く限り第3の国づくりは不可能だと思っています。
それで新しい政治勢力に求める「日本の国づくりの3本柱」を示します。
それは聖徳太子の3大政策とそれによって発見された国づくりの3大方針です。
1は十七条の憲法で示された柱です。国体に関する大方針。
2は仏教興隆の詔と敬神の詔で示された柱です。文化形成に関する大方針。
3は隋との対等外交で示された柱です。外交に関する大方針。
それらの政策は次の3つの国づくりの大方針としてその後の日本に受け継がれていきました。
日本の為政者は2000年間この3つの柱で国づくりをしてきました。
とくに古代の国づくりはまさに聖徳太子の三大政策を継承して実りました。
近代の国づくりは古代の国づくりの際の「シナ」を「欧米」に置き換えただけで、まさに聖徳太子の大方針のみごとな継承だったのです。
第3の国づくりを担う新政治勢力は、日本の歴史を貫く聖徳太子の三大方針にぜひ学んでほしいと考えています。
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