6 不思議なことがある
『こうして源頼朝が鎌倉に幕府を開いた頃、いまから千年も前には、計算の上では、みなさん一人一人のご先祖が、なんと・・・一億三四二一万七七二八人いたことになってしまいます。しかし、こんなことがあり得るのでしょうか? 次の資料を見てください』
小和田哲雄『すぐわかる日本の歴史』(東京美術)P1091
これは歴史人口学による推計データである。この資料を見せることはたいへん重要だ。なぜなら、国の人口は過去にさかのぼるほど少ないという史実を示すことだからだ。
このグラフから、日本の人口の移り変わりを読みとっていくのである。
およそ二千年前、日本が水田で米作りを始めた頃だが、人口はおよそ六十万人に過ぎなかったと推定されていることがわかる。現在のさいたま市の人口よりも少ない。
およそ千年前、源頼朝の時代は七〇〇万人くらいだったと考えられている。
およそ四〇〇年前、江戸時代が始まった頃は一三〇〇万人ぐらいだった。
およそ一五〇年前、明治時代が始まった頃は三五〇〇万人だったらしい。
明治時代以後は政府が人口調査を正確にやるようになったので、かなり実態がわかってくる。明治・大正・昭和・平成のおよそ百数十年が、歴史上空前の人口急増時代だったのである。そして、日本の人口が一億人を超えたのは、わずか三十年くらい前だということもわかってくる。
『これが事実です。歴史の実際はとても少ないご先祖から少しずつ子孫が増えていって、とくに最近の百年間で急激に増えて今の日本があるのです。そうして、いま日本には一億二千万人以上の子孫が住んでいます。人口は時代が進むほど増えてきたことが、この資料からわかります。それが歴史の真実です。
だから、ご先祖をさかのぼればさかのぼるほど、その時代の日本人はどんどん少なくなっていくのだと考えなくてはなりません。
では、私たちが今日考えたことはまちがいだったのでしょうか?
私はそれももうひとつの真実だと思います。なぜなら、両親がいなければ子供は生まれないからです。どの時代にも、みなさんや私の先祖が、この日本で暮らしていたことはまちがいありません。
両方真実だとしたら、これをどう説明すればいいのでしょうか。私は、この不思議を大学の先生にたずねてみました。教えていただいたことをみなさんにも教えましょう』
★両親二人が生きている時代、祖父母四人が生きている時代ぐらいまでは、生きていた時代はみなだいたい同じでそれほど大きなズレはない。しかし、時代をさかのぼればさかのぼるほど、ある先祖の世代全員の生きた時代は大きくズレてくる。すると、同じ先祖を持つ人どうしが結婚することがありうる。そうなったら先祖は二倍にはならなくなる。
★江戸時代以前は、いまのようにふつうの庶民は自由に住むところを変えない。同じ村やせいぜい隣村の男女が結婚して子供が生まれるという村の暮らしが長く続いた。今ではあまりないが従兄弟どうし等、親戚だとわかっている男女が結婚する場合も多かった。そういう村では、村人はみな遠い親戚になってしまう。例えば、お父さんとお母さんの先祖が同じだったら、さっきの二倍計算はできないことになる。このように先祖が同じ人物になる場合が多くなるので、実際の人数は計算のようには増えてはいかないのだ。
★このように、実際は少数の同じ祖先から現在の多数の子孫が生み出されたのである。
弥生時代くらいまでさかのぼれば、日本人の多くは同じ先祖にいきついてしまうことが考えられる。
六十万人が、およそ二千年後に一億人以上の子孫を生み出す先祖になるからだ。
日本は島国で、大規模な人口移動(外国からの大量の人口流入)もなく、国が滅びるということもなかった国だから、弥生時代にも私たちの先祖がいたと信じられる世界でもめずらしい国なのだ。
私たち日本人は、みな遠い遠い親戚だといってもいいのかもしれない。
『こういうことだそうです。先祖が重なっているので、実際の人数は計算のようにはいかかないということです。ご先祖の実際の数は時代をさかのぼるほどかえって少なくなるのですが、みなさんのたくさんのご先祖様の誰かが、必ずどの時代の日本もいたことだけは間違いがありません。ここが大切なところです。どの時代にも必ずいた二千年間の先祖を全部合わせれば、やはり「数え切れないほどたくさんいる」と言ってもまちがいではないでしょうね』
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