改訂版15「伊藤博文と大日本帝国憲法」



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★大日本帝国憲法が日本人の正しい憲法だと教える。
真実、当時の国際社会でも最高の評価を得ている。
内容としても、現在のGHQが起草した占領憲法よりも絶対的にすばらしいものだ。
伊藤博文を主人公に、自分の考えを持ちながら学習させ、明治の先人の努力と愛国心に強く共感できるようにしたい。
この憲法でも国会が予算と法律を決める。今の憲法と同じだ。
政治というのは「法律+予算」なのだから選挙で選ばれた国会議員が政治を決めたのであり、これはまさに民主主義だ。大日本帝国憲法は「天皇主権」だという誤り(天皇独裁というイメージ)を正す。日本の憲法は君民共治が正しい。
また、教育勅語は憲法とセットだからここで教えよう。
情報量が多いので2時間かかるかもしれない。

1 近代政体とは
◆西洋列強の政治の仕組みには3種類ありました。
A 君主専制・・・皇帝(王)の独裁政治、ロシアなど
B 共和政治・・・王が初めからいない(アメリカ)、王を殺してしまった(フランス)
C: 立憲君主制・・・王が憲法に基づいて統治するが、実際の政治は選挙で選ばれた国会が決定権を持っている。イギリスなど
◆大久保・伊藤ら政府のリーダーたちも、板垣・大隈ら自由民権派も、Cの立憲君主制が日本の憲法だと考えていました。

2 日本の憲法をつくる

◆伊藤はイギリスに学ぼうとしましたが、イギリスには憲法典(書かれた憲法)がありません。そこで日本の実態に近いドイツに留学しました。ドイツは同じ立憲君主制ですが、イギリスよりも皇帝の力が強い政治の仕組みです。安定した政府が「富国強兵」の政治をぐんぐん進めなければならなかった日本の実態に近いからです。
そこで、シュタイン先生に学びました。

●資料「シュタイン先生の教え」を読む。
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シュタイン先生の教え
「伊藤さん、憲法というのは国のかたちを表すものです。私たちもイギリスの立憲政治に学んで憲法を作りましたが、丸写しにしたわけではありません。西洋に学ぶのもいいですが、日本には日本にふさわしい立憲政治があるはずです。どうか、古い歴史のある日本に誇りを持って、お国の歴史と伝統にもとづいたりっぱな憲法をつくってください」
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◆伊藤は感動して、この教えを憲法作りの大きな柱にしました。
伊藤は数人のグループで憲法草案を作りましたが、井上毅はとくに『古事記』や『日本書紀』から江戸時代の『大日本史』までに学び、西洋の考え方よりも日本の政治には優れた伝統があったことに気づき、それを憲法に生かしました。

●資料「日本の政治の伝統」を読む。
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日本の政治の伝統

1 古代からずっと、日本は天皇中心に国民が一つにまとまり、天皇の前では国民は平等だという考え方(一君万民という)があった。
2 国民(庶民)を大御宝(おおみたから)とよび、古代から江戸時代まで、日本の政治には「国民の幸福が政治の目的だ」という考え方があった。西洋の「人権」「国民のための政治」という民主主義の考え方が、日本には昔からあったことがわかる。
3 古代の朝廷の政治も、中世からの幕府の政治も、天皇や将軍の独裁政治ではなく、天皇の臣下である実力者たちが集まり、話し合って決めていた。 「議会政治」の伝統が日本には昔からあったことがわかる。
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◆伊藤や井上は、西洋列強が「近代」「近代的」と自慢していた政治を日本は昔からやってきたではないかという強い自信を持ち、この自信が憲法を単なる西洋のマネではないりっぱなものにしました。

3 グナイストの教え(安達弘先生の追試)

◆次に、伊藤はグナイスト先生に学びました。
●資料「グナイスト先生の教え」を読む。
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グナイスト先生の教え

「日本の憲法では、国会の力を弱くした方がいいでしょう。
法律を決めるのも予算を決めるのも内閣がやり、国会は話し合って参考になる意見を言えるだけということににするのです。
そうすれば、内閣が考えた政治をじゃまされないでぐんぐん進めることができますよ。
国会議員は国民の代表です。国民は国のためではなく自分たちの利益のために議員を選びますから、内閣がやろうとすること(たとえば増税とか)には必ず反対するものなのですよ」

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『みなさんが伊藤博文だったら、この教えに従いますか?』
A 従う。
B 従わない。

◆人数分布をとり、話し合わせる。
◆伊藤はBを選びました。
「予算も法律も国会(国民の代表)が話し合って決めること」にした。こうして、日本の憲法はドイツよりもイギリスに近い進歩的なものになりました。

伊藤は、イギリスにできることは日本にもできると証明しようとしたといわれています。
ただし、総理大臣を決めるのは天皇(元老たちが決めて天皇が任命する)にして、国民が立憲政治に慣れてきたら少しずつ、イギリス式に総理大臣も選挙で決める仕組みしていこうと考えました。これは大正時代に実現します。

 伊藤は、日本人はきっと利己主義だけでは動かない、国のために考えてふさわしい国会議員を選べるようになる、と信じていたのでしょう。

4 国民の権利論争

◆ついに伊藤たちの書いた憲法案がリーダーたちによって検討される段階まで来ました。そこでは有名な臣民の権利論争が行われました。
●資料「森有礼と伊藤博文の臣民の権利論争」を読む。
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森有礼と伊藤博文の権利論争

森「伊藤さん・この案には『臣民(国民)の権利と義務』が決められているが、国民が天皇と国に対して責任があるのは当然だが、権利などはないほうがいいんじやないですか!」

伊藤「いやそうではない。憲法に国民の権利を定めないようでは、とうてい世界の一流国にはなれません。
憲法をつくるというのは、君主の権力を法律で制限し、国民の権利を守るためなのです。
それが、憲法によって進める政治なのです。
私たちは、日本の伝統に立って天皇中心の憲法を作りますが、それは、天皇陛下を中心に国民がまとまっていこうということです。
憲法から『臣民(国民)の権利と義務』とってしまつたら、憲法が国民を守ることはできなくなります。
また、わが国は大昔から国民を大御宝(おおみたから)とよび、政治は国民の安心のために行うのだという伝統があります。
国民の権利を定めることは、わが国古来の伝統(すなわち日本の憲法)を守ることなのです!」

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◆伊藤のつくった憲法が西洋列強にも賞賛された模範的な憲法になったわけが、この論争からもよくわかるでしょう。実際は、西洋諸国が「日本はこんなに権利を認めていいのか?」と驚いたほどなのです。

4 大日本帝国憲法

◆こうして藩閥政府は国民との約束を守り、日本にアジア初の立憲政治を打ち立てたのです。
◆板書
 明治22年(1889) 2月11日 大日本帝国憲法発布(この日は紀元節です!)
   23年   7月1日 第一回衆議院議員総選挙
    11月29日 国会(帝国議会)
*アジア初の立憲政治が確立した。

◆大日本帝国憲法については、第一条を黒板に書き、ノートに写させ、暗唱させる。

第一条 大日本帝国憲法は万世一系の天皇これを統治す。

◆これは、大昔から続いてきた「天皇中心の国」を守るという、日本国のかたちを明確に示した条文です。
◆一般にこれは「天皇主権」を定めたものとして、まるで「天皇独裁政治」のように教えられていますが、それは悪意あるまちがいです。この点を明らかにする発問をします。

『大日本帝国憲法の下で、明治・大正・昭和の天皇陛下が内閣・議会・裁判所の決めたことを変えさせたことは何回会ったでしょうか?』

A 一度もなかった、   B 数回あった    C 数十回あった。

◆正解はA.

 「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」とあるように、天皇陛下は国会や政府が決めたことを国家の決定という権威を与える(判を押す)役割でした。その意味では、平時の時は現在の地位とほとんど変わりません。
ただし、現憲法は「有事(非常時)」の権力規定がまったくない欠陥憲法ですが、この憲法は、有事には天皇が非常大権を行使できることを定めています。だからこそ第一条の「統治す(ほんとうは「しらす」)」が立憲君主制の肝なのです。

◆次のことも教えたい。

*国民の権利・・・居住・移転の自由、職業の自由、裁判に訴える権利、宗教の自由、言論の自由、集会の自由
   参政権(25歳以上の男子:税金15円以上)
*国民の義務・・・納税、兵役の義務

5 明治憲法の評価と教育勅語

◆自由民権派の評価を教える

板垣退助「自由党史」より

「一たび憲法が発布されると、国中挙げてまるで戦争に勝って凱旋するような気分になり、皆、永年の望みがついにかなったことを喜び、お互いに慶賀しあい、一晩で藩閥政府対民権運動の抗争を忘れたようなありさまだった」

「前の日まで死を賭して争ってきた人々も、すべてを忘れて、和気真にあいあいたるものがあった」

◆世界の評価を教える 
イギリス「タイムズ」紙記事
「アジア人である日本で、議会と憲法がつくられたのは何か夢のような話だ。これは偉大な一歩である」
ハーバード・スペンサー(イギリス人)
「日本の憲法は、西洋に学びながら、たんなるまねでなく、日本の古くからの伝統も忘れずに、少しずつ進歩していこうとしている。たいへんりっぱなことである」

『さて、憲法と議会ができました。約束通り、西洋諸国は、不平等条約を平等に改正してくれただろうか?』

A:改正してくれた
B:改正してくれなかった

◆残念ながら改正してはくれなかった。ビスマルクの言うとおりである。
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ビスマルクの言葉

「ついこのいあだまで、ドイツは、たくさんの小さな国に分かれた弱々しい国でした。だから、フランスやイギリスにばかにされ、おどかされていました。表では礼儀正しく国際法に従うように見せて、世界を動かしているのは、実は弱肉強食というルールなのです」
「彼らは、自分に有利なときは国際法や条約を持ち出しますが、いったん不利だとわかれば、法律を無視して、軍事力にたよるのです。そして強い国が有利になるルールをつくります。だから、小国が独立を守るためには国が一つに団結し、強い軍隊を持つしかないのです。」

◆帝国議会が開かれるとき、天皇陛下から「教育に関する勅語」が出された。
立憲主義は国民の道徳によって支えられるという考えの下に、憲法と同時に明治天皇のお言葉として発表された。書いたのは井上毅(こわし)
●日本人の背骨をつくったと言われる教育勅語の現代語訳を読み、若干の解説をして授業を終える。
●プリント「教育勅語」
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【資料】「現代語訳:教育勅語」

 君主として私の考えを述べる。

 私のご先祖は、遠い昔にこの国を建国し、深く厚い徳をうち立ててきた。わが国民もまた、皇室には忠義つくし、両親には孝行をつくして、心を一つによい行いを積み重ねてきた。これはわが国の優れた美質であり、わが国の教育がめざすものはまさにここにある。

 したがって、あなた方国民は次のような徳を身につけなければならない。
 父母には孝行すること。兄弟にはやさしくすること。夫婦は仲良くすること。友だちは互いに信じ合うこと。
 慎み深く自分の心を引き締め、分けへだてなく人に愛情をそそぐこと。
 学問を修め、様々な技能を身につけ、知能を啓発して、立派な人格となること。
 すすんで公のためにつくし、世の努めを果たすこと。必ず憲法を守り、国の法律に従うこと。もし国家に危急の時があれば、正義にかなった勇気をふるいおこして、国のためにつくすこと。そして、天地に極まりのない天皇の国が発展することを助け支えること。

 このようなことは、ただ私に忠実な国民として価値があるだけでなく、それは、あなた方自身のご先祖が残した美風に感謝し、それをたたえることにもなるのだ。

 この道は、私のご先祖たちが残した教えであり、私の子孫と国民すべてが共に守っていくべき教えであり、昔から今に至るまで誤りのない教えである。この教えは、我が国ばかりでなく、諸外国においても十分道理にかなう教えとして通用するものである。

 私は、あなた方国民と共に、心をこめてこれらの教えを守り、皆がその徳を一つにすることを願うものである。

      明治二十三年年十月三十日    御名御璽

 (教育勅語をもとに作成)


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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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