模擬授業「日米安全保障条約」
(1)教材としての吉田茂
吉田茂は、これまでも現在もさまざまなイメージが与えられている。ざっくり分類すると次の4つになるだろう。
A 片面講和を結び民主・平和に対する逆コースを進めた宰相
B 講和条約を結び、自由主義陣営の一員として日本を独立させた宰相
C 講和条約を結び、再軍備に反対し、経済再建の道を開いた宰相
D 講和条約を結び、再軍備に反対し、米軍の駐留を継続させた宰相
Aは日教組を中心に左翼教師がいまも進めている授業である。
Bは本研究会の安達弘先生の名授業がある。(『近現代史の授業改革』5号:1996年)
(注)当時は教科書や教育界でAのイメージが強く、吉田茂の功績を教えることが 歴史教育改革の課題だった。
CはAの正反対で、これがいわゆる「吉田ドクトリン」という評価である。
DはCとセットであり、Cの裏面である。
Dには講和条約後現在までの日本は本当に独立国なのか?という疑念が含まれてい る。今回の授業が取り上げる吉田像の一面である。
(2)授業のねらい
講和条約を結んで独立したいが、憲法と追放と武装解除によって日本には自己防衛能力はなかったため、日米安保条約が結ばれたことを理解させる。主発問は、吉田の選択肢の中からどれを選ぶかを考えさせ、討論させる。生徒たちには、この授業を通して国家の安全保障について、また国家の独立について関心を深めるきっかけとしてほしい。
(3)授業の流れ
1 「占領下の日本」の復習から
┌──────────────────────────────────────┐
│ アメリカ軍の占領で日本および日本人が失ったもの、奪われたものを箇条書きに
│ しなさい。
└──────────────────────────────────────┘
*独立、大日本帝国憲法、大和魂、日本人としての誇り、教育勅語、軍隊など
┌──────────────────────────────────────┐
│ 占領期の日本の、最大の課題(目標)は何だったでしょうか?
└──────────────────────────────────────┘
*占領を終わらせる。独立国になる。講和条約を結ぶ。
2 講和条約への動き
①19473月、マッカーサーは憲法施行を前に、1年以内の対日講和を進めると発表した。東京裁判も終わり日本弱体化(民主化)も完成するとみたからだ。
・バーンズ講和案:航空機の禁止、興業・商船の制限、常駐して25年間日本を監視する。
・日本外務省:非武装である以上、日本の防衛はアメリカにゆだねて独立するほかない。
②1948年 米ソ冷戦の激化(ベルリン封鎖、朝鮮の分割、中共軍の攻勢)
ジョージ・ケナン、トルーマン大統領による対日政策の転換(日本を共産主義に対するアジアの防壁とする。再軍備要求。弱体化から強化へ)。
マッカーサーは反これに対し続けた。
その結果(再軍備がない以上)、対日講和の無期限延期が決まる。
③1950年 第3次吉田内閣が講和に向けて動き始める。冷戦のために寛大な講和の可能性が高まったからだ。日本側から「英軍駐留の継続」を申し出て本決まりになった。
国務省顧問のダレスが対日講和担当になり来日し、講和交渉が始まった。
コメント