4 米ソ冷戦が終わった
①自由主義陣営と共産主義陣営の戦争が終わり、アメリカにとっての日本の意味が大きく変わった。また今後も変わっていくだろう。
②国際紛争やテロが多発し、国連の出番が増え、軍隊を出せない日本は金を出した。そして、少しずつ「自分が撃たれるまで戦わない自衛隊」も出すようになった。(集団的安全保障への限定的参加)
③北朝鮮は拉致被害者を5人だけ返し、中国は尖閣に手を出して反日を煽り、韓国は激しい反日教育を進めながら、竹島は返さず、従軍慰安婦問題などで日本を攻撃し続けている。歴史戦争にわが国政府は自衛の戦いもやろうとしない。反日歴史戦争と戦っているのは民間の義勇軍(ボランティア)だけである。
④アメリカは世界の警察官という覇権国の立場から降りようとしているのかもしれない。
もしそうであれば、日米安保条約の意味もやがて大きく変わらざるを得ない。
⑤安倍内閣は、たぶん安保条約以後初めて、日本の安全保障を事実に即して考え、行動しようとしている。そして、とりあえず、「集団的自衛権は持っているが憲法上行使できない」という従来の憲法解釈を「行使できる」という世界の常識に変えようとしている。しかし、自衛隊は国際法上の軍隊ではないので、「行使できる具体的なケース」を公表することから始めている。
■マスコミはそろって抑止力を高めようとする政府の行動を、逆に戦争の危険が増えるかのように宣伝している。
「日本を戦争ができる国にしていいのか?!」
実は日本もまた世界各国と同様に昔から「戦争ができる国」です。
1950年にマッカーサーと吉田茂が「自衛権はあります!」と宣言(解釈改憲)したときから、憲法9条の下で日本は自衛戦争ができるようになった。
内閣総理大臣が「GO」の命令を出せば、自衛隊はいつでも自衛のために戦うことができる。
安倍内閣はこれまでの思い込みや勘違いを少しずつ正し、正気に戻していこうとしているだけだと思う。
■「日本は戦ってはいけない」と言っているやつらは、いうまでもなく攻撃されても戦わない人々である。彼らは敵のために奉仕する人々であり、つまりは敵国の工作員なのである。本人は自覚していない場合もある。
■いちばんわかりやすいいのは、9条を改正して自衛隊を国軍にし、しかるべき法整備をすればいいだけだ。そうすれば、国内法と国際法の整合性が保たれ、あたりまえの独立した主権国家として国際社会の対等な一員となれる。
■では、「どうして安倍首相は、憲法9条を改正して、自衛隊を軍隊にしないのでしょうか?」
答えは、与党の中にも反対があり、国民の中にも反対意見が根強くあるから(できない)。つまり、日本がいつの間にか上に書いた工作員(および無自覚的工作員)に占領されてしまったからだ。
■日本の米軍基地は、自由主義陣営の前線基地という意味合いは薄くなり、アメリカ(と日本のため)の軍事基地になった。
中国は経済大国にのしあがり太平洋への覇権を求めて、尖閣周辺で日本を挑発し続ける。北朝鮮は核を持ち、拉致被害者を帰さない。
売国政権が続いた日本は、もう少しで国が滅びるかというところまでいったが、なんとか踏みとどまったように見える。
■しかし、安倍首相はたくさんの公約を反故にした。
戦後レジームの打破、憲法改正、自衛隊を国防軍に等々。
河野談話を見直さないというのもその一つだ。
この安倍首相の一歩後退にはアメリカが深く関わっている(たぶん)。
連合国(UNつまり国際連合)の戦後秩序は今でもアメリカの利益だからだ。現状では、駐留軍は自衛隊による愛国的クーデターを抑止することも、その任務の一つであると思われる。
■わが政権の意志と行動は何にもとづくのか?
立憲国家にあって、それは国民の意思と行動である。
①日本国民の大多数が平和と安全だけでなく、国家の独立を求めるようになること。
②日本国民の大多数が、わが国がこの世界で独立し、思想・行動の自由と民族の誇りを回復するためには、経済力に相応した軍事力(国際法上の軍隊による)を持たなければならないとわかること。
そのためには、教育・マスコミ・官界・学会など「言語空間」を変えていくしかない。日本人自身が変わることだ。。
■以下は、ちょっと気になったところを抜き出しました。
吉田茂「回想十年」
(安保条約を)あたかも屈辱なるが如くに感ずるものが少なくない。今に及んでも、対等であるとかないとか、議論を上下している。かかる人々は、現今の国際情勢を知らず、国防の近代的意義を解せぬもの、いわゆる井底の蛙天下の大なるを知らぬ輩と評する外はない。今日いずれの国に独力を以て国防を支えうる国ありや。
英本国の中心に米国空軍が国防を分担し、伊仏の国境の一部には、英米軍が防衛にあたっている。ソ連支配下の東独に接する西独には、北大西洋条約により英米仏三国軍隊が駐屯しているが、西独はむしろこれを歓迎し、英国部隊の削減に難色を示したなどのこともある。そしてこの外国軍隊の駐屯によって、莫大なる軍事費の負担を免れ、それが敗余の復興に多くの貢献をしていると感謝している。そこには何の屈辱感も劣等感も見いだされないのである。
(・・・・安保条約は日本が発意し日本が提案したものであり、日本が施設を提供し、アメリカが軍隊を出して、かくて共に日本を防衛する点で、相互性は保持されている。軸に拘泥して、米国に日本防衛の義務はないなどというのは、三百代言的な解釈に過ぎず、条約の精神はまぎれもなく日本の去津防衛にある・・・)
池田勇人宛書簡(昭和33年11月6日)
安保条約改定のごときも岸のいたずらに衆愚に阿附するの余別に定見ありての提案に無之、共同防衛、相互依存の今日、自主とか双務とか陳腐なる議論は賛成できぬところ・・・(坂元一哉『日米同盟の絆』より)
坂元一哉『日米同盟の絆』
吉田自身、安保条約への批判に反論すると同時に、この条約は完全なものではなく暫定的なものであり、より「恒久的な体制への移行」が初めから予想されていたと説明している。その意味するところは「守ってもらう関係から共に守る関係へ前進すること」であった。アメリカへの一方的な依存ではない、より相互的な防衛関係への前身である。
だが、具体的にどのようにして、またどのくらいの時間をかけて、そういう関係へ前進していくのか。
吉田路線のような防衛力増強のペースで、憲法を改正せず、再軍備しないといいながら徐々に防衛力を増すというやり方で、いつごろまでにそういうことができると考えたのであろうか。吉田の考えは必ずしも明らかではなかった。
赤坂真理「東京プリズン」
なるほど私の国の人たちは、戦争が終わって、女のように振る舞ったのではないかと。男も女も、男を迎える女ように、占領軍を歓迎した。
多少の葛藤はあったとしても相手に対して表現せず、抵抗を見せなかった。
それどころか、占領軍を気持ちよくするためのことが、公にも個人レベルでも行われ、じじつ、日本人は占領軍と仲良くやった。
まれに見る仲むつまじい占領だったのではないか。
・・・恥じながら、かつての敵をもてなした。
決して武士のようにではなく、男を迎える女のようにサービスした。
それを戦争を知らない私たちでもどことなく感じ取ってる。
戦争に負けたのは、いい。
だけれど、自分を負かした強い者を気持ちよくして利益を引き出したら、それは娼婦だ。
つづく世代は混乱する。
誇りがなくなってしまう。
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