日米安保条約メモ 3



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3 米ソ冷戦下の日本

①池田内閣は経済発展をめざし、防衛強化の努力も進めた。

②佐藤内閣は沖縄返還を実現し米軍の駐留を固定化した。非核三原則・専守防衛など「軍隊ではない自衛隊」を固定化した。

③その後の日本は経済大国になった。各内閣は、冷戦が永遠に続き、アメリカは日本を守らざるを得ないのだからという理由で、日本には安全保障問題は存在しないかのようにふるまってきた。

④ソ連の侵略可能性はしだいに低くなっていったが、かわって共産主義中国・北朝鮮と韓国による間接侵略と攻撃が始まる。拉致。歴史戦争など。

■この時代の最大の問題点は、祖国の安全保障をアメリカに依存することがあたりまえになり、日本に平和と安全があれば「独立」はもういらないか?となっていった時代だった。
というか「独立」ということが国民はおろか国家のリーダーたち(政治家や官僚)の意識にも上らなくなっていった。
 いま考えてみると、吉田ドクトリンというのは、ほんとうは「確固たる独立心、とくにアメリカからの独立を求める強い気持ち」によって支えられてこそ、自立した国家の戦略となりうるものだったのではないだろうか?
 安保条約への批判には現状を無視した暴論や空想論もあったが、そこにあった国民の中の反米感情には、おそらく国家の平和と安全と共に、国家の独立を重視する国家観があったのではないだろうか。
 冷戦が続き、吉田ドクトリン(実はマッカーサー・ドクトリン)だけが継続し、「独立」ぬきの「平和と安全」だけが残ってしまった。
 その時代に多数の日本人が北朝鮮に拉致されていったのである。その手引きをしたものの中には日本人も含まれていたことだろう。その連中を裁ける日が来るのだろうか。


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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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