2 義和団事件
1900(明治33)年 義和団事件
義和団事件とは、幕末の過激な攘夷運動の清国版みたいなものです。
北京の外国公使館や外国人居住区などを攻撃しました。それだけならまだしも、なんと清国政府がこの攻撃を鎮圧せず、いっしょになって列国に宣戦布告したのです。
清がいかに条約を守らない国だったかがわかるでしょう。
だまってやられるわけにはいかないので、日本をはじめとする列国の大使館は連合軍を組織して戦いました。
日・露・英・仏・米・独・伊・墺です。
無事鎮圧するのですが、このとき大活躍してこの鎮圧の中心となったのが大日本帝国陸軍の活躍でした。
士気の高さ、日本軍にだけは略奪行為などがなかった規律ある行動などで、列国の賞賛を浴びたのです。
とくに柴五郎中佐の活躍が有名になり、世界中で報道されました。
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英国書記官ランスロットの証言
日本兵が最も優秀であることはまちがいない。
士官の中では柴五郎中佐が最も優秀である。
日本兵の勇気と大胆さは驚くべきものだ。
わが水兵がこれに次ぐ。
しかし日本兵はずば抜けて一番だと思う。
英国義勇兵シンプソンの証言
少なくとも500名必要とする防衛戦に、わずか数十名の義勇兵しか残っていなかった。
が、日本兵はすばらしい指揮官に恵まれていた。
柴中佐はいつのまにか混乱を秩序へとまとめていた。
彼は部下を組織し前線を強化した。
彼はなすべきことはすべてやった。
自分はこの男に心を奪われていた。
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このとき、各国は北京周辺に、万が一の時のための駐兵権を得た。各国は1000名ほどの軍隊を置いて、清国政府が裏切るときのために備えた。
(このときの清との約束で置かれた日本軍が、1937年(昭和12年)7月の盧溝橋事件で出てくるので覚えておきましょう)
さて、この事件が日本にもたらした災厄がありました。
それはロシア陸軍が事件後も撤収せずに、満洲に残ったことです。こうして遼東半島と満洲がロシアの勢力権になりました。
また、ロシアは東アジアでの戦争のためにシベリア鉄道を建設し、やがて完成します。
そして、虎視眈々と日本が独立させた朝鮮にねらいを定めました。
危うし日本!
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