授業「第二次世界大戦の始まり(後半)-経済封鎖で追い詰められる日本」



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2年生「第二次世界大戦の始まり(後半)」をやりました。

始めに、ヨーロッパの戦争と日本の戦争はまったく意味が異なっていたということを教え、日本とナチスドイツを(三国同盟があったからといって)ごっちゃにしてはいけないと言うことをしっかり教えました。
ナチスのユダヤ人虐殺(1200万人)はヨーロッパ人のユダヤ人差別が行き着いた果てに起きたことであり、日本人には人種差別はなかったこと。日本はユダヤ人をたくさん助けたということを、自由社版歴史教科書P229の「迫害されたユダヤ人を助けた日本人」を読ませ、樋口季一郎と杉原千畝を教えました。

続いて、前回の続きとして「経済封鎖で追い詰められた日本」というテーマで進めました。

1946(昭和16)年4月、日本は明治以来のアメリカとの友好を守るべく、日米平和交渉を始めます。アメリカがシナを援助しているのはわかっていましたが、戦争は避けたかったからです。近衛文麿 VS F・ルーズベルト。

日本はシナ事変(日中戦争)を終わりにしたかったが、ソ連と米英が蒋介石に「講和するな」と命じ、援助を続けたていたことを復習。うする中で、日本はABCD包囲網によって経済制裁を受けていたことも教えます。

しかし、日本はこれも耐えて、自力でシナ事変を解決すべく、フランス政府(ビシー政権)と合意の上で平和的に南部仏印に進駐しました。
1 援蒋ライン(ビルマライン)を断ってシナ事変を終わらせるため。
2 南方の資源獲得をめざすため(蘭印の石油など・・・オランダはドイツがおさえている)。

ところがアメリカはこれを許しませ縁でした。
7月、在米日本資産の凍結と石油(ガソリン)の全面輸出停止です。

ルーズベルトは、日本との戦争を決意し、準備を整え、日本に先に手を出させるために、平和交渉を長引かせていました。ルーズベルトがたいへんな日本人差別主義者だったことをしっかり教えておきます。資源のない日本は追い詰められていきました。

それでも日本は日米和平を求めて交渉を続けましたが、これ以上の平和追求は難しいと考えた近衛文麿首相は内閣を投げだしてしまいました。次の総理大臣は陸軍大将の東条英機です。東条は昭和天皇の平和への願いを知り、その後もけんめいに戦争を避けようとして交渉を続けました。

しかし、 11月、アメリカは日本にハル・ノートを突きつけました。国務長官コーデル・ハルの名前で出された日本に対する最後通牒でした。書いたのはソ連のスパイだったハリー・デクスター・ホワイトでした。
近衛内閣の回りにも、尾崎秀実などのスパイがいたことを教えます。日米のソ連スパイは、日米戦争を起こすために工作を続けていました。

教科書「ハル・ノート(一部抜粋)」を読ませます。「3 日本は中国およびインドシナからいっさいの軍隊と警察を引き上げるべし。4 日本は南京政府を否定し、蒋介石政府を正当な中国政府と認めよ」
また、プリント資料「東郷茂徳外相の回想:日本はハルノートをどう受け止めたか」を読ませて、次のように問いました。

「みなさんが、当時の日本のリーダーだったら、どちらを選びますか? その理由をノートに書きなさい。
A ハル・ノートを拒否する(戦争もやむなし)
B ハルノートを受諾する(戦争を避け、アメリカに屈服する)」

意見は、A 拒否する 18名、 B 受諾する 16名と、まっ二つに分かれました。

主な意見は次の通りです。

A ここまでやっってきたのだから、この際アメリカだろうが何だろうが戦う。交渉を向こうから打ち切ったんだからしょうがない。

B 戦争するよりもハル・ノートを受け入れた方が、被害が少ないのではないか。日本の被害を少なくすることが大事だと思う。

A 私はAです。理由は、日本の明治からの努力が全くなくなってしまうからです。ハル・ノートを受け入れれば、日本は欧米強国と対等な関係ではなくなってしまいます。それは日本がこれまでやってきたすべての国づくり、すべての外交を無駄にしてしまいます。だから、私は、戦争は本当にいやだけれど、これでは戦うしかないと考えました。

B ハル・ノートはたしかに日本は弱い時代に戻れと言っているが、アメリカ、イギリスという強大国を相手に戦争するよりはまだましだと思う。中国から撤退して、日中戦争も止めた方がいい。

A これまで日本のために死んでいった人たちに失礼ではないか。

B ABCD包囲網が完成し、追い詰められている今、戦争をすれば負けることはわかっているのではないか。もし負けたら、東南アジア、中国だけでなく、日本本土さえ危うくなる。今は臥薪嘗胆で、本土防衛に徹するべきだ。

A Aお選んでも、Bを選んでも日本はぼろぼろにされてしまう。そうだとしたら少しでも光り(勝つかも知れない)のあるほうを選びたいと思った。

B 戦わないで降参するのはいやだが、アメリカと戦争をして、たくさんの死者が出て、負けてしまえば、ハルノートを受け入れたのと同じか、もっとひどくなってしまう。戦争はやめよう。

A ハル・ノートを受け入れたら日本は日本ではなくなる。

B とにかく戦争だけはいやだ。

と、こんな具合でした。

日本政府(東条英機首相)は、内閣一致で対米戦争やむなしという決定を下し、大日本帝国海軍はアメリカの真珠湾をめざし、また東南アジアのイギリス艦隊めざして出発していきました。そして、日本は米英に開戦の通知を行いました。

以上です。

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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