朝鮮ピーとピー屋の話



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ピーとはパンパンのことです。

第一話「朝鮮ピー と ピー屋 のお話」

12歳1945年まで朝鮮の首都京城府にお住まいだった女性から送っていただいた当時のお話です。

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当時、朝鮮人娼婦は朝鮮にはごく普通に居たのです。

何故か「朝鮮ピー」と呼ばれていました。業者を「ピー屋」と呼び、長崎でも上海でも古老の話で「ピー」「ピー屋」の表現が今も聞かれます。「P」は英語「Prostitute」(娼婦)の頭文字説と、時代は分かりませんがもうひとつ、性器そのものを指す中国語の蔑称説があります。朝鮮語はカルボ。どちらにしても「従軍慰安婦」という言葉はどこを探してもないのです。当然です。何十年も過ぎてからの造語、捏造語でしかないからです。

京城では日本人は組合組織の公娼中心の娯楽街「遊廓」内では、16歳以下の女子を使うと「打ち壊し」の刑で実際に壊されたケースもあったと聞いています。遊廓には病院や組合事務所もあり、定期的巡視もありました。しかし男たちの華やかな楽しい遊楽街、遊興街でもあったのです。

日本人遊廓の傍には、朝鮮人の組合組織ができて居て、それ以外に、男性を誘い込む私娼窟が、あちこちに無数にあってピーさん、ピー屋(業者)は、ごく普通に居た。

中村粲先生(「大東亜戦争はなぜ起こったのか」等のご著書を残して居られる独協大学教授)は「カラスのこっち、入りなさいよお」と、呼び込みをしていた様子を書いて居られます。12歳まで京城にいた私が今改めて当時の中学大学生に聞くと、朝鮮人は「ガ」の発音ができないために「ガラス戸の外から見てないで勇気だして入って来なさい」と言ったのだとのことです。

当時の思い出話を書きとめた林茂太さんのイラスト入り憶え書きには「カクセイさんおはいりよお」と。学生の帽子をひったくって「カクセイさん、勇気だして。帽子いりますか」そんな甘い駆け引き話が書かれています。遊んで病気に罹って、親にも言えず内緒で「治療代のカネ貸して貰えないか」と泣きついてきた硝子屋さんの息子の話も聞けました。朝鮮人ピーさんは安かったので学生は親や教師の目を盗んで行ったのです。

戦争が激しくなって軍隊が大陸や南シナ海に移動していくと、ピー屋がピーさん達を纏めて「渡航証」を持って移動し、半島最北の大河の鴨緑江を渡リ大陸づたいに相当奥地に迄移動しています。この河を渡ると、先は満州、つまり異国ですからパスポート「渡航証」が要る。そこで朝鮮人と解ると満州族に苛められる。そこで日本人名に改名して「娼婦部隊」と名乗りかなり奥地に移動して行ったという話も聞きました。

「おとうさんが病気で、オモニが私を売ったよ」といった悲惨な身売りですが人数では日本人の方が遥かに多数。上海事変に参戦した者が親戚に居ますが、その手記に「日本髪の女給さん」が居たので懐かしく声を掛けたら、「朝鮮人だった」とあり(発音で解る)「どうして日本髪を?」と聞いたら「そのほうが、オカネニナルヨ」と言ったと書いています。

ユーチューブで見た銭湯の写真には日本髪の裸の女性が7人、浴槽から出て洗う感じの場面で、みな朝鮮座りの独特の立て膝です。今、立て膝座りのコリアンは居ませんが、朝鮮戦争が終わって10年、20年後も、まだまだ立て膝座りは居ました。

「性奴隷」ではない絶対に。2年間稼いで帰国する時は.「従軍看護婦で働いていた」という顔をして帰ったのだと証言しているコリアン男性は、何人も居ました。朝鮮戦争に従軍記者として米軍のIDカードで渡鮮した東京新聞外報部記者だった笠井真男さんからも、のち私が同社勤務だった関係で、渡鮮のその時の話を聞いています。韓国人から「わぉ日本人がきた」と大歓迎され民家に招待されマッコリで盛り上がった話を聞いています。こんな問題が起きる以前、草の根の私達も日韓友好で同窓会を日韓でやったり、日本に招いたり、ピアノやパソコンを贈ったり、友好に努めたものです。それだのに今になって強制連行とは悲しい限りです。

もともと李氏朝鮮時代の社会の位層は、王族、両班、中人、常人、白丁、最下層は「奴婢」ピラミッド型に裾野が広かったようです。(奴婢は名前さえなかったケースも)。

姜在彦さんのご著書「ソウル」に奴婢の記述があります。そういう土壌土質の改良が成されていないから売春防止法が出来ても反発が起き「こんな法律があったら私達は暮らして行けない、即刻廃止せよ」とガソリンをかぶって火を点けるぞと抗議する恐しいデモを娼婦達自身が起こしています。悲惨な現象です。

6年前、横浜でウランバートルでNPO活動をしている韓国人男性の講演があり、その時、日本は売春防止法が出来た時、こういう騒ぎはなかったのでしょうか、と問われたことがあります。

赤線、青線ぐらいは知っていましたが。毎年、大騒ぎになる韓国売春婦のこのようなデモ騒ぎは聴いたことがなく、誰ひとり答える人は居ませんでした。

不幸な話ですが「性奴隷」とか、20万人の強制連行は、でっち上げも甚だしい愚挙です。日韓基本条約でも以後、個人賠償は相互に一切しないことを約束したはずです。

あちらの醜い押しの一手や、醜いロビー活動には適いませんが、日本人は日本人として正統派で正々堂々、根気強くチャレンジ致しましょう。

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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