「危険だ」という言葉の危険性



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長谷川三千子氏にはいつも学ばせていただいていますが、
今回もたいへん勉強になりました。
12月5日の産経新聞朝刊です。
つべこべ言うよりも、みなさんいもぜひ読んでいただきたいともい、
ここに掲載させていただきます。

こういう前文引用というのは、許されるものなのでしょうか。
もし、ルールに反するようでしたら、ご指摘ください。
よろしくお願いします。

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埼玉大学名誉教授・長谷川三千子 

「危険だ」という言葉の危険性

2012.12.5 03:10 (1/4ページ)[正論]

 「たいへん危険な政策だと思いますね」--先日、或る報道番組を見ていたら、野田佳彦首相が、安倍晋三自民党総裁の提案する大胆な金融政策を評して、そう言っておられました。つまり、これではインフレをひき起こし、一般国民の生活を苦しめる恐れがある、という批判です。

 ≪デフレか大胆な金融政策か≫

 この議論そのものについて言えば、目下の日本はデフレが続いて不況が長びき、正規雇用が減って世帯当たりの所得が減り続けている。このような現状を打破するためにこそ大胆な金融政策が必要とされるわけなのであって、野田さんの批判はちょっとピント外れだったと言うべきでしょう。

 しかし、それより問題なのは、この発言中の「危険」という言葉です。この言葉には大きなインパクトがあるので、誰もが好んで使うのですが、それだけに、その使い方には注意が必要です。この言葉はその危険のみに光をあてて、他にもいろいろ別な危険があることを忘れさせてしまう。それがかえって危険を呼ぶことにもなるのです。

 たしかに、思い切った金融政策に危険はつきものであって、これは歴史がわれわれに教えてくれる通りです。しかし、思い切った政策をしないこと--何一つ思い切った政策をとらずにデフレ状態を放置することもまた、たいへん危険なのです。

つまり、一口に言って絶対に危険でない経済政策などないのだと心得るべきでしょう。ちょうど集中治療室の医師団のように、さまざまの治療法の効果と副作用をはかりにかけて、何とか「日本経済」という患者を回復させること--それが目下の経済政策の務めです。そのような時、「危険だ」という叫びは、かえって治療の妨げになってしまうのです。

 ≪危険は上手にコントロール≫

 実は、これは経済政策にかぎったことではありません。そもそも一国の政治というものは、どちらに進んでも、また進まなくても、それぞれに危険があります。そうした危険をすべて見渡しながら、細いいばら道を切り開いてゆかなければならないという難しい仕事です。そして、ただでさえ難しいその仕事をいっそう困難にしてしまうのが、「危険だ!」の大合唱なのです。

 そのことがもっとも顕著にあらわれ出たのが、原発をめぐる問題でした。昨年の3月、福島の原子力発電所が大津波にあって事故を起こして以来、われわれは原発に対する恐怖で頭の中が真っ白、といった状態で今に至っています。とにかく、「原発」と聞けば、即時停止、廃炉、反原発、脱原発、といった言葉以外にはうかんでこない。しかしそれは、かえって危険なことと言うべきなのです。

 われわれが福島の事故で学んだ通り、原発は停止してもまだ危険です。廃炉へ至る道のりのいたるところにひそんでいる危険を上手にコントロールしていかなければなりません。それなのに、「即時脱原発」を唱える人たちは、〈危険をコントロールする〉という発想すら投げ捨ててしまっています。まして、日本のエネルギー政策全体を見渡すなどということは、それ自体が犯罪扱いされてしまっている。「危険」の一語が、危険を避けるために不可欠の理性的態度を吹き飛ばしてしまった好例と言えるでしょう。

 さらにもう一つ大きな問題を生み出してきたのが、自国の毅然(きぜん)とした外交姿勢に対して投げかけられる「危険なナショナリズム」という唱え言葉です。

 ≪〈安全活動〉回避してならぬ≫

 たしかに、世界を眺め渡して見れば、「危険なナショナリズム」と呼ぶほかないような態度の国もあります。国内の失政から国民の目をそらすため、隣国に理不尽な言いがかりをつけて領海侵犯をくり返す--こんなナショナリズムは本当に危険です。

 しかしそれでは、そうした危険をふせぐのに、相手のご機嫌をとり続け、すべてを譲り続けるのが一番安全なのでしょうか。

実は、話は全く逆で、国家の常日頃の毅然とした外交姿勢や、国境、領海保全の不断の努力というものは、戦争という最大の危険をふせぐために不可欠の防壁なのです。これは、野生動物が自分の縄張りに絶えず匂い付け(マーキング)をして不必要な衝突を避けるのと全く同様の営みです。

 ところが、あたかも「危険な」国家は日本一国であるかのように、わが国は「危険なナショナリズム」という唱え言葉のもとに、そうした〈安全活動〉をことごとく回避してきました。その結果が、たとえばこの秋の尖閣諸島周辺における中国の危険な行動を生み出してしまったのです。

 このような「危険」という言葉の魔力にまどわされず、本当にしっかりとあらゆる危険を見渡して、もっとも安全な国家の進路を切り開いてゆくには、よほど冷静で肝のすわった政権でなければなりません。今度の選挙では、ぜひそういう政権を実現したいものです。(はせがわ みちこ)

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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