古代とはどんな時代か



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中学校の学習指導要領が改訂され、それにのっとった新しい教科書がこの4月から使われています。
改訂の柱の一つが、歴史の大きな流れをとらえさせる、というものです。

私が使っている『新しい歴史教科書』(自由社)は、指導要領の改訂趣旨を最も良く反映させている教科書ですが、その小単元として「第1章のまとめ:古代とはどんな時代か」があります。

先週、その授業を行い「歴史レポート:古代とはどんな時代か」を書かせてみました。
まちがいや混乱も多く、文章も読みづらいと思いますが、いくつか紹介してみます。
学年は1年生です。

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■古代とは、日本が生まれた時代です。まず二人の神様によって、日本列島が生まれました。縄文時代は狩りや採集で食料をとっていました。でも時代が過ぎていくうちに、稲作が伝わり、リーダーが生まれ、争いが始り、天皇が生まれました。中国に金印をさずかり、中国と対等な関係になりました。
 私は古代の中では、中大兄皇子の時代がすばらしいと思いました。理由は、白村江の戦いに敗れましたが、敗戦後に落ち込むのではなく、天皇を中心として、また日本を再起動させたからです。すばらしいと思いました。

■古代とはどんな時代かというと、2つあると思います。1つめは文化で、2つめは政治です。
 1つめの文化では、中国から入ってきた仏教を国の宗教にするかしないかの討論で、蘇我氏と物部氏が討論するところが印象的でした。自分はどちらかしか選べないと思っていたけど、聖徳太子は2つの文化を取り入れようと言ったからです。このおかげで、今でも、日本の神々の神社と仏教の寺があることがわかり、また、遺してくれたことに感謝したいと思いました。
 2つめは政治です。それまでは中国がアジアの中心で、その家来として日本があったけど、聖徳太子は中国に追いつくどころか抜かしてやろうと言い、その目標に向けて政治を進めていきました。この決断はすごいなあと思いました。
 もし独立していなかったら、日本は中国の家来のままだったので、古代の人々には感謝をしなければならないと感じました。

■日本は、弥生時代は漢の支配下に置かれていましたが、古代は、日本国の国づくりを進めた日本の独立の時代だと思います。
 弥生時代は朝貢などで中国の支配下でしたが、古墳時代に大和政権による統一がなされます。古墳の大きさで、日本の権威を示したり、少しずつ変わっていきます。
 そして、聖徳太子によるすごく本格的な国づくりが始まります。
 中国から文化を吸収し、ある意味手本としながら、独立をはかり、中国と対等な国を目指していきます。
 聖徳太子は、自分の一代だけで国を変え、とっぴょうしのないことを考え、日本を中国と対等な国に変革することに成功したので、すごく尊敬します。
 奈良時代になると、争いの考えがうすれてきて、仏教を積極的に取り入れ出します。仏像をつくったりなど、独自の文化を作り上げていき、完全に独立していったと思います。
 今までの歴史人物の大きな決断のおかげで、日本の国ができたので、偉大であり、素晴らいなあと感じました。

■古代とは国づくりの時代である(土台作り)。
 まず弥生時代で、国の20%は統一した。中国から金印をさずかった人をリーダーに立て、その時代でまたいくつかは統一した。しかし、まだ国づくりの具体的な方法は決まっていない。 
 古墳時代は、力の強い豪族が大きな墓をつくり、そのころの豪族の力がわかるであろう。政治的には、大和朝廷が出てきて、国の統一が大きく進んだと思う。
 飛鳥時代は、聖徳太子が冠位十二階や十七条の憲法で豪族をまとめ、国づくりの方針は、天皇中心の国(政治)になった。それを受け継いだ645年の大化の改新で、はっきりまとまった天皇中心の国になっている。
 奈良時代は、聖徳太子が骨組みをつくった方針に肉付けをした時代だと思う。聖徳太子の理想であった仏教も、聖武天皇の時代に深く取り入れられ、東大寺、国分寺、国分尼寺などが全国に建てられた。
 このようにして、日本が完成したのだと思う。

古代がどんな時代かと聞かれたら、「日本という国ができた時代」と答えると思います。なぜこう答えるかというと、中国(宋)の皇帝が、「日本の天皇こそ理想だ。うらやましい」と言ったからです。
 ずっと昔から日本が追いかけてきた中国に、この言葉を言わせたとき、日本が独自の文化(天皇中心の国)を持ち、独立したのだと言えると思います。日本は中国の政治とは違う政治にして、よかったと思いました。

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 もちろん問題は多々ありますが、今回初めて取り組んでみた意図のいくつかは達成できたという手応えを感じています。
 最後の生徒は「中国の皇帝と日本の天皇」という、これも教科書の新しい授業によって出てきたものです。
シナに学んで律令国家を築いた日本が、シナの易姓革命を取り入れることなく、天皇中心にまとまる国をつくったことを言っています。

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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コメント一覧 (1件)

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    明治10年頃から回虫や蛭にライ病・赤痢などを持込
    本百姓(小作=1町歩以上)や水呑百姓(川原下・新田小作=1町歩以上)に
    一軒々行倒を装い群って苗床を荒し種籾を食アサリ
    田畑や井戸と湧水地に糞便を撒散
    五月蝿く憑纏い盗掘や占拠を繰返し略奪・強姦と一家離散へと追込だ
    遺棄児を含む親子関係や男女も申告せず陸稲米を食ア.サ.ッ.テいた族(ケガレ)と

    鉄製測量器具(15尺=伊能忠敬))等と中粒種(ジャポニカ米)を持込
    木箱で苗を育て整然とした田植を行い
    河川から田畑に水を導き気候に合せて調整を行い
    穂が実り頭が垂れ黄金色に輝き田が乾燥するまで収穫しない方法を教込
    飛躍的に石高を増大させた民族との
    歴史や文化に生活仕様の根本が根底から違うのは明かな筈です。

    昭和20年迄は日本の戸籍、旅券は国際標準で民族・身分欄が有
    君主国家に相応しく
    昭和22年迄は主権者に対する罪(大逆、不敬)も有ったのを憶ていますか。

    =民族に平民以上か移民と賤民が分ら無い国は存在し無い筈です=

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