日露戦争以後のの日本は、
欧米列強とほぼ同様の立場と政策を採っていた。
そこにアジア主義が入りこんできたのはいつからだろう。
それが問題を解く一つのカギになると思っていた。
その答えを見つけた。
井上寿一『アジア主義を問い直す』(ちくま新書)は次のように書いている。
近衛文麿は意気消沈していた。
首相就任直後に起きた日中間の軍事衝突の不拡大をめざしながら、
何をやっても思い通りにならず、
無力感にとらわれていた。
こんなはずではなかった。
国民の人気は圧倒的で、
だれもがこの貴公子を歓迎した。
国内の主な政治勢力も、
軍部から政党まで、
こぞって近衛内閣を支持している。
それなのになぜ意に反して戦争は拡大するか?
状況は近衛の手に余るものとなった。
近衛は早くも政権を投げ出す覚悟をする。
ところが皮肉なことに、
戦局は連戦連勝だった。
勝っている国の内閣が、
戦争の途中で総辞職するわけにはいかない。
(中略)
個別の戦闘は連戦連勝だったはずである。
ところが中国側が屈服する気配は、
ほとんどみられなかった。
どうすればこの戦争は終わるのか。
近衛には明確な見通しを立てることができなかった。
もう一つ近衛にとっての難題が、
国民に対してこの戦争をどのように説明するかということだった。
先勝気分に沸く国民の期待を裏切るわけにはいかない。
そうかといっていつまでも戦争を続けることもできない。
戦争の目的を明確にしながら、
国民の納得が得られる事態の収拾策を考え出さなくてはならなくなった。
日中戦争をめぐるこれら国内外の問題を一挙に解決する政策の理念になったのが、
アジア主義という考え方である。
アジア主義は、
日中戦争に和平をもたらし、
国民を説得することができたのだろうか。
(p133~134)
いままでぼんやりと考えていたことが明確になってきた。
たしかにここで、
それまでは民間にだけ流通していたアジア主義が、
政府の政策として採用されたようだ。
ここからわが国は抜き差しならない矛盾に直面する。
世界の支配者の一員であると同時に、
支配される側に立とうとする困難にである。
大東亜戦争を教える難しさのひとつがここにあると考えている。
この本から、
しっかり学ばなければいけないと思いながら、
ゆっくり読み進めている。
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