昭和の戦争19



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日露戦争以後のの日本は、
欧米列強とほぼ同様の立場と政策を採っていた。

そこにアジア主義が入りこんできたのはいつからだろう。
それが問題を解く一つのカギになると思っていた。
その答えを見つけた。

井上寿一『アジア主義を問い直す』(ちくま新書)は次のように書いている。


近衛文麿は意気消沈していた。
首相就任直後に起きた日中間の軍事衝突の不拡大をめざしながら、
何をやっても思い通りにならず、
無力感にとらわれていた。

こんなはずではなかった。
国民の人気は圧倒的で、
だれもがこの貴公子を歓迎した。
国内の主な政治勢力も、
軍部から政党まで、
こぞって近衛内閣を支持している。
それなのになぜ意に反して戦争は拡大するか?
状況は近衛の手に余るものとなった。

近衛は早くも政権を投げ出す覚悟をする。
ところが皮肉なことに、
戦局は連戦連勝だった。
勝っている国の内閣が、
戦争の途中で総辞職するわけにはいかない。
(中略)

個別の戦闘は連戦連勝だったはずである。
ところが中国側が屈服する気配は、
ほとんどみられなかった。
どうすればこの戦争は終わるのか。
近衛には明確な見通しを立てることができなかった。

もう一つ近衛にとっての難題が、
国民に対してこの戦争をどのように説明するかということだった。
先勝気分に沸く国民の期待を裏切るわけにはいかない。
そうかといっていつまでも戦争を続けることもできない。
戦争の目的を明確にしながら、
国民の納得が得られる事態の収拾策を考え出さなくてはならなくなった。

日中戦争をめぐるこれら国内外の問題を一挙に解決する政策の理念になったのが、
アジア主義という考え方である。
アジア主義は、
日中戦争に和平をもたらし、
国民を説得することができたのだろうか。

(p133~134)


いままでぼんやりと考えていたことが明確になってきた。
たしかにここで、
それまでは民間にだけ流通していたアジア主義が、
政府の政策として採用されたようだ。

ここからわが国は抜き差しならない矛盾に直面する。
世界の支配者の一員であると同時に、
支配される側に立とうとする困難にである。

大東亜戦争を教える難しさのひとつがここにあると考えている。

この本から、
しっかり学ばなければいけないと思いながら、
ゆっくり読み進めている。

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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