昨日でようやく長かった1週間が終わりました。
へとへとで9時前には眠ってしまい、
おかげで今朝は早起きができました。
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佐藤卓己『言論統制~情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書)を、
読み始めました。
おもしろくて、ついのめりこみます。
これは、戦時下言論ファッショの元凶としてありとある悪罵を投げつけられてきた、
鈴木庫三陸軍少佐の実像を探求した本です。
戦時中悪人だったことにされている人物の多くは、
戦後占領軍による言論統制によって「悪人にされた」人が多いのです。
そして、戦時中の悪を指弾した者も、
そのほとんど全員が戦争にすすんで協力していました。
それどころか、言論界だけでなく、
政治や行政や教育や、
あらゆる分野で率先して「ファシスト」だった者も少なくありません。
GHQに洗脳され、戦争に対する罪悪感から逃れようとして、
「ユダ」を探し自分の「罪」なすりつけようとした者もいた。
そのために、戦時中にも「反軍」反戦」があったかのような、
ウソもまかり通っていました。
現在の言論界も、
こうした占領下の言論の末裔であることをまぬかれない、
と思います。
「戦争に対する罪悪感」を乗り越えて、
歴史を「善悪の彼岸」でとらえないと、
いつまでも、「東京裁判の検察側意見=判決」から、
自由になれません。
本書から引用します。
戦争期の思想情勢を有効に取り扱うには、
まず思想そのものの国内的な対立に視点をおくことが必要であるが、
鈴木(庫三)・和辻(哲郎)論争は、
おのずからその対立の頂点があらわれたものと
みなさなければならない。
わたしは戦争期の思想に、
主戦と反戦の対立があったという見方を、
あまり重視しない。
もちろんあの時期に、
非戦・反戦の思想が伏在していた事実を
尊重するけれども、
しかし書かれるべき思想史としては、
戦争支持者の間における思想上の対立にこそ、
焦点がおかれるべきものと考える。
(大熊信行「大日本言論界の異常的性格」『文学』1961年8月号)
大熊信行は、
戦時中、言論報国会の理事として活躍した人物です。
ここでいう戦争支持者の思想対立軸とは、
「資本主義体制の擁護を念とするものと、
戦争体制の強化の過程をとおして社会主義体制への接近を志向するもの」
との対立軸のことを言っています。
この「資本主義体制の擁護を念とするもの」が、
当時の「財閥」やあらゆる「現状肯定派」であり、
自由主義的な政治家・言論人・軍人もここに入るでしょう。
「戦争体制の強化の過程をとおして社会主義体制への接近を志向するもの」
が、転向した共産主義者や国家社会主義者とその影響下にあった人々であり、
軍閥(皇道派・統制派)、革新官僚、から「多くの国民」まで。
もちろん当時右翼(とよばれた人々)や農本主義者たちもこちらに入れてよいでしょう。
鈴木庫三は陸軍にあって、
当時としてはかなり「批判的な知性」の持ち主でした。
日記には、時勢をリアルに観察し批判的に論評する文章がつづられていて、
たいへん勉強になります。
1960年代が終わろうとするころ、
吉本隆明の評論で、
よく大熊信行や竹内好が引用されているのを読みました。
やはり
当時としてはそうとう高いレベルのことを言っていたんだなあと、
なつかしく思い出しました。
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今日は、昭和の日です。
雨の後の晴天で空気が透明な、
新緑の美しい日でした。
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