坂野潤治『日本近代史』(ちくま新書)から引用します。
第一次大戦後から1932(昭和7)年の5・15事件まではの10数年間の政治においては、政友会と憲政会(民政党)が外交において一長一短であった1920年前半の時代の方が、政治の安定と進歩に役だったように思われる。
両党のどちらが勝っても、「平和」か「民主主義化」の一つは担保されるからである。
反対に、憲政会(民政党)が勝てば「平和と民主主義」が、政友会が勝てば「侵略と天皇主義」が協調されるという1925年から32年にかけての二大政党制は、政党政治だけでなく、日本国家そのものを危機に導いた一因だったように思われる。
(「第6章 危機1925-1937」より)
政党と歴代の内閣が、何を主張し何を為したかを見ることが抜けていたように思います。
これまで、そういうアカデミックな(?)政治史をちゃんと読んでいませんでした。
また、自由主義史観研究会を立ち上げた頃は、石橋湛山や清沢きよし(さんずいに列)を読んでいたはずなのですが、このところすっかりごぶさたでした。
やはりしんどかったので、
わかりやすい話にしてしまいたかったのかもしれません。
ま、あせらないで、ゆっくりやっていきましょう。
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