今日も、三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』から、以下引用します。
この政府声明(国民政府を相手にせず)に呼応して、
同月(昭和13年1月)19日付読売新聞夕刊一日一題欄に、
「長期戦の覚悟」と題する三木清の論文があらわれたことは、
注目に値する。
彼はその中で、
「いよいよ長期戦の覚悟を固めねばならぬ場合となった。
それはもちろん、
新しいことではなく、
事変の当初から予想されていたことである。
今更、改めて悲壮な気持ちになることはない」
「長期戦の覚悟として必要なのは、
強靱性である。
長期戦となれば、いきおい局面は複雑化し、
思いがけないことの起こってくる可能性も増えるわけであるが、
これに処していくためには、
強靱な精神が必要である」
と言っている。
三木清が共産主義思想の把持者で、
そのために彼は、昭和17年治安維持法違反として検挙され、
獄中で悲惨な死をとげたことは周知の通りである。
終戦後彼は、
戦争に反対したがゆえに、
軍閥政治の犠牲になったかのごとく伝えられたが、
この論文でも明らかなように、
真っ先に長期戦を支持したのは、
かれら一連の共産主義者のグループであった。
以上引用終わり。
「真っ先に長期戦を支持したのは、
共産主義グループだった」
と言い切ってよいかどうか確かめたいと思います。
コミンテルン第6回大会決議は、
長すぎるうえに、記述内容にかなり矛盾があります。
一方で「帝国主義戦争に反対せよ」(この部分は三田村は引用していない)と言いながら、
「帝国主義戦争は必然」
「帝国主義戦争を内乱に」
「戦争が起きたら、自国が敗北するように工作せよ」
とも言っています。
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