昭和の戦争ノート9



日本史ランキング
クリックお願いします!別ウィンドウが開きます

近衛文麿の、国民政府相手にせずの声明は、
王兆銘政府の擁立が前提とされており、
それは、はじめから戦争の永続化と、
戦時体制という名の体制革新(擬社会主義体制化)が目指されていたというのは、
ほんとうでしょうか。

そして近衛側近のこの構想は、
尾崎秀実の敗戦革命構想と表裏一体だったというのは。

三田村武夫は、
皆が尾崎とコミンテルンにはめられたのだと言おうとしています。

しかし、それはないだろうと思います。

多くの軍人や政治家や言論人が、
日本の方途を考えたとき、
同じ構想に立ち至ったということは大いにありうることだと思えました。

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

コメント

コメントする

目次