陸軍中将土肥原賢二は、昭和14(1939)年6月号の『中央公論』に、
「新時代を戦う日本」と題する論文を書いているます。
「今次事変(支那事変)の聖戦の意義は、
単に国家が自己の生存上の問題や、
発展のためのみに戦っているのではなくして、
世界の正義と新秩序と、
新文化のために戦っておることである。
今次事変を契機に、
東亜の新秩序、
東亜の協同世界、
東亜の新文化、
戦争の世界史的意義等々が、
さかんに論議されるに至ったのは、
このためである」
「東亜協同体の理念は、
今次事変の血と硝煙と犠牲と死の中から、
われわれが得た貴重な理念である」
「東洋はわれわれの真理で支配するか、
それともわれわれ東洋人は、
欧米デモクラシーや、ソ連のボリシェビキの奴隷となるか、
われわれの理想か、
われわれの新文化か、
彼らの旧支配か、
われわれの新時代か、
彼等の旧時代か、
血の決意のみがこの結果に勝利する」
「ここに、われわれが今回提唱し、
実践しつつある、
東亜協同体の政治的意義の重大性がある」
三田村武夫は、
当時参謀本部にいた土肥原陸軍中将の論文が、
三木清や平貞蔵や尾崎秀実らの論文と、
内容も修辞も酷似していると指摘し、
「当時、軍閥とその背後に何があったかを物語る証拠」
と述べています。
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