第一次世界大戦で山東半島の利権と南洋諸島の統治権を得たとき、
日本は欧米帝国主義列強と同じ流儀で生きようとしていました。
対華21箇条の要求はまさにその現れでした。
しかし、日本は戦後、彼らの流儀による世界分割はすでに終わっていることに気づきます。
世界はアングロサクソンが支配していて、世界のルールを決めるのも彼らです。
日本が遅れてきた帝国主義国として彼らと覇権を争うためには、
総力戦に耐える力量がありません。
これが満州事変の動機の一つでした。
(しかし、満州には石油が出ない!)
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遅れてきた帝国主義国家としてどう生きるか。
資源のない日本は総力戦には耐えられない。
したがって、何かと日本に難癖をつけてくる米英と協調しながら、
共産主義の脅威と戦う。
しかも支那の動きにも対応しながら、大陸の利権も守る。
これが日本の選択でした。
幣原喜重郎らが模索した道です。
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この道が閉じられていくのは、
いくつかの要因がありました。
ひとつは、明治以来の大アジア主義です。
ひとつは、世界資本主義の行き詰まりと、日本における反資本主義の流れです。
これは、議会政治・政党政治・自由主義への批判になります。
ひとつは、民族自決主義のアジアへの伝染です(これは日本自身がみごとなお手本でした)。
ひとつは、共産主義(コミンテルン)=左翼です。
ひとつは、天皇を戴く共産主義(社会主義・ファシズム)=右翼・革新官僚です。
ひとつは、欧米中心の世界が示す態度です。
ひとつは・・・
これらが、からまりあって日本を導いていきました。
戦争の継続は、戦時体制という名の反資本主義・社会主義化でもありました。
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私は、日露戦争以後の日本の歩みの必然性(運命)を共感的に理解したい。
現状では、いくつもひっかかるところ、わからないところがあるのです。
ま、あせらないでゆっくり勉強します。
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