東京裁判の授業



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東京裁判の授業

◆授業づくりの話◆ 
 東京裁判の授業は、私の授業計画の中で、昭和の戦争時代の学習と戦後の被占領時代の学習とをつなぐ位置にある。
検察側と弁護側の意見を通して、子供たちは日本が戦った戦争をもう一度とらえなおす。それが言論による戦争の継続でもあったからである。その意味では、この授業は昭和の戦争時代のまとめの学習になる。
 一方、子供たちはこの授業を通して「どうしてこんな不公平な裁判が行われたのか?」という疑問を持つ。その疑問は被占領時代の学習の入り口になる。軍事力によって日本が支配されているという状況が、戦後のさまざまな事象を説明することになるからである。その意味では、この授業は戦後時代の導入の学習になる。
私は昭和の戦争が「善玉連合国と悪玉日本との戦いだった」と教えることはしない。史実にもとづいて、日本が置かれた困難な状況をつかみ、先人の苦悩と迷いと決断を考え、戦争の悲惨な諸事実とそこにさえあった人間的な真実を追い、そしてある場合にはリーダーたちの誤りを検討する。そんな授業を探求している。つまり歴史を教えたいのである。
 同じように、「戦前の日本はならず者の国であり、戦後の日本は自由と民主主義の国になった」と教えることもしない。
 両方とも、占領軍が占領という作戦を遂行するためのプロパガンダ(情報宣伝)であると自覚した上で、日本および日本人に強いた歴史観だからだ。東京裁判はこの歴史観を宣伝するための一大イベントでもあった。
 一例に「戦後日本は自由と民主主義の国になった」という話を検討してみよう。そのとき日本国民は、自らの政府と法を超越した占領軍の権力によって支配されていたのである。その権力は、国民が選挙で選んだ首相を追放できたし、自分で書いた憲法を日本政府に押しつけることもできたし、さらにその憲法さえ無視することもできたのである。民主主義とは法の支配であり、超法規的な権力とは相容れないはずである。つまり、被占領時代の日本には民主主義はなかったのである。
 また、当時の日本には言論・表現の自由がなかった。占領軍の検閲と情報統制はマスメディアはおろか私信にまで及んでいたからである。言論の自由こそ自由主義の原点ではないだろうか。ならば、この時代の日本には真の自由もなかったのである。
アメリカ軍の統治下にあった六年九ヶ月は、歴史上初めてわが国が異民族によって支配された時代である。なるほど当時ソ連に支配された東欧諸国の苦難を思えば、よほど光に満ちた時代であったことだろう。しかし、たとえそうだったとしても日本人の多くは自らの尊厳を傷つけられていたのである。そうでなければ、再び独立国になることもやめていただろう。建国以来の歩みをたどれば、長い年表のそこだけが朱に塗られていてもいい時代なのだ。それが被占領時代の教育内容の核心である。占領軍統治下の歴史の光と影のすべては、その真実の上にあったととらえるべきなのである。
 国際法学者の佐藤和男氏はいう。

(ミズーリ号上の)降伏文書は実質的には「休戦協定」に相当し、以後、サンフランシスコ平和条約が発効して「平和状態」が回復される昭和二十七年四月二十八日に至るまで
の期間は、国際法の観点から見れば依然として「戦争状態」が続いていたのであり───
国際法では「戦争」は特定の法的状態とされる───この間に連合国占領軍が実施した数
々の占領行政措置は、東京裁判を含めて戦争行為(軍事行動)としてのものであった」
                      (『日本は侵略国家ではない』善本社)

 被占領時代の光と影のすべてをこのような筋の通った見方をもとに物語る歴史書を、わが国はまだ持ち得ていない。今もなお、私たち自身が被占領時代に強いられた歴史観を克服できていないからである。もしそれができれば、私たちは昭和の歴史の全貌を、日本人の立場から等身大に物語れるようになるだろう。それができないのなら、本当は、私たちの歴史教育も完結できないはずなのである。

◆授業の実際◆

1 東京裁判の基礎知識 

この授業の教材である東京裁判は、昭和二十一年五月三日に開廷し、昭和二十三年十一月十二日に判決が出された。法廷は東京都新宿区市ヶ谷台の旧陸軍士官学校であった。現在の防衛庁である。
 子供たちは一枚の白黒写真によってこの史実の世界に入っていく。写真には東京裁判の法廷が写っている。この写真から授業のタイトルを引き出したいのである。
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│ 写真「東京裁判の法廷風景」 │
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『気がついたこと、わかったこと、こうじゃないかと考えること、ありますか?』
「兵隊さんがいっぱいいる」
「アメリカ人や外国の人がたくさんがいる」
「兵隊さんが日本人ではないみたいだ」
「何かの会議をしているんじゃないかなと思った」
「日本に原爆を落とされたから、それの裁判をしているのだと思う」
 いきなり「裁判」という推理が出てきた。もちろん、小学生が東京裁判を知るよしはない。前時に戦争の勉強が終わったことや、場面の人物の配置などから考えているのである。
「左側にいろいろな世界の国の旗がある」
「もう戦争をやめようという会議をしているのではないか」
 外国人、国旗の列等々、子ども達は国際会議のようなイメージをつかんだようだ。その多くが、学習してきた戦争とのつながりを考えている。「裁判」と「戦争」というキーワードが出てきたところで、写真の読みとりは終える。
『これは、わが国がアメリカを始めとする連合国との戦争に負けた半年後の写真です。場所は東京。日本が戦争に負け、アメリカの軍隊が日本に入ってきて、日本は占領されました。その東京で行われたある裁判の写真です。M君の推理が的中しました。その裁判の名前を書きます』
 黒板に東京裁判と書く。子供たちがノートにタイトルを書いたことを確かめてから、声をそろえて「東京裁判」と言わせた。歴史上の重要な用語などは、このように一斉に声に出して言わせることが多い。『漢字で三回書きなさい』のように書き取りの練習をさせることもある。歴史は年代や用語を覚えることが勉強ではないが、その言葉を知らなければ考えることも共感することもできないというキーワードがある。それは必要な手だてを講じて覚えさせなければならない。
『正式には極東国際軍事裁判といいます。ふだんは東京裁判と呼ばれることが多いので、私たちも東京裁判ということにします』
こうして今日の主題を引き出した。次は裁判の基礎知識を獲得させよう。
『では次に、裁判とは何かを確かめておきましょう。裁判には四種類の人が必要です。どういう人がいるかわかりますか?』
テレビドラマやニュースで裁判の場面を見たことがある子供は必ずいる。 挙手した児童に発言させながら、次のように進めていった。
「まず、裁判を下す裁判官の人です」
『そうです。裁判官がいるね。有罪、無罪の判決を下す人です』
 子供は「裁判を下す」のように、授業の中で誤った言葉づかいをすることがある。その指導は状況によって異なる。ここは裁判を教えることが主眼ではないので、このようにさらっと言い変えて先に進む。
「被告人です」
『はい、被告人がいるね。あと二つです』
「弁護士」
『はい、弁護士ですね。ここでは弁護人としておきます』
「あと、警察です」
『そう、警察ね。警察が犯人を逮捕するのですが、裁判所で犯罪があったことを証明する人は、警察とは別の人です』
「検事?」
『そうです。検事です。ここでは検察官とよぶことにします。これで裁判に必要な四つの役割が全部そろいました』
 こんどは、東京裁判に具体化していく作業である。
『この裁判の被告は日本でした。(写真を示しながら)ここが被告人の席です。近寄ってみるとわかりますが、被告席には日本人が並んでいます』
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│ 東条英機の写真 │
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『これは被告人の一人、この間見せたビデオに出てきた東条英機です。真珠湾攻撃の時の総理大臣でしたね。被告は全部で二八人。みな戦争中日本のリーダーだった人々です』
『では、弁護人はどういう人ですか?』
「検察官は〈この人はこういうことをした〉って言うけど、弁護士はそれに返して〈この人はこういうことはいしてない〉って言います」
「はいそうですね。被告はこういうことはしていないと弁護するのが、弁護人の仕事です。弁護はおもに日本人がやりました。これは、清瀬さんという主任弁護人です』
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│  清瀬一郎の写真 │
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『次に、検察官はどんな人だったでしょう? 被告は、これこれこういう犯罪をやったと証明する人は?』
「むこうの、アメリカの軍隊のリーダーだと思います」
「そうです。アメリカを始めとして、戦争で日本に勝った連合国十一カ国の人々です。この人が、キーナンというアメリカ人の検察官代表です』
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│  キーナンの写真 │
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『十一人の検察官は、次の国々の代表でした』
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│ アメリカ、イギリス・フランス・オランダ・ソ連・カナダ・オーストラリア・  │
│ ニュージーランド・中国・インド・フィリピン │
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ニュージーランドまでは白人の国ですが、残りの三つはアジア人の国です。中国とは日華事変から戦争が続いていました。インドはこのときまだイギリスの植民地でした。フィリピンはもうすぐ独立しますが、このときはまだアメリカの植民地でした。これらは連合国の仲間ということで、それぞれの国から一人ずつ検察官が出てきました』
『さて、最後は裁判官ですが、この裁判の裁判官が誰だったかは、ちょっと難しい。答えられないと思いますから、いまはハテナ(?)として、次に進むことにしましょう』
 裁判官が誰だったのかが、この授業づくりの一つのポイントである。これは授業の終末時まで子ども達には伏せておくことにした。この時点でわかってしまえば、どんな判決が出るかは子どもにもわかる。そうなっては、この授業の中心の学習活動である「検察と弁護の弁論を聞いて感想を持つこと」自体が無駄なことに思えてくるだろう。
こうして黒板には次のような図が示された。
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│ 弁護人(清瀬一郎の写真) │
│ │ │
│ 裁判官(?)─────┼────────── 被告人(日本のリーダーたち) │
│ │              (東条英機の写真) │
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│          検察官(キーナンの写真)(十一ヶ国の国名カード) │
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2 裁判で戦わされた主張
『今日は、みなさんをこの裁判所の傍聴席に連れて行きます』
 実はこの裁判は判決が出るまで二年半もかかりました。昭和二十一(一九四六)年の五月に始まって、判決が出たのは昭和二十三(一九四八)年の十一月です。
 二年と半年の間、この裁判所では延々と検察官と弁護人の対決が続きました。たくさんの証人が呼ばれ、膨大な文書が証拠として提出されました。裁判の判決は、この対決を公平に判断して決められるのですから、両方とも一歩も譲らない真剣な討論が続いたのです。
 今日はみなさんにその対決を聞いてほしいのです。そして、今から六十年前にこの裁判を見守っていた日本人、それはみなさんのお祖父さんお祖母さんであり、ひいお祖父さんやひいお祖母さんですが、そうしたこの裁判を目撃した日本人の孫たちとして、自分なりの意見や感想を持ってほしいのです。
 そのために、私は検察官側と弁護人側の意見を要約したプリントを作りました。
 二年半の討論を数分の原稿にまとめてしまったのですから、正確とはいえません。足りないところはたくさんあります。でも、意見の中心は伝わるでしょう。
『これから私がそれを読みます。みなさんはプリントを見ながら、大事だと思うところをマークしながら読みましょう。まず〈検察側の意見〉を読みます。これはアメリカを中心とする連合国側の意見です。その次に〈弁護側の意見〉を読みます』

検察側の意見(アメリカを中心とする連合国)
◆被告は有罪だ
 日本は、太平洋戦争において、「平和に対する罪」と「戦争犯罪」をおかしました。したがって、当時日本の指導者だった被告たちは明らかに有罪です。
【平和に対する罪】
①日本はアメリカを攻撃し、平和をやぶった
 一九四一年の十二月八日、日本海軍の航空部隊がいきなり、ハワイの真珠湾にあったアメリカ海軍基地を攻撃してきました。それは、ここにいる被告たちの命令でひき起こされたのです。日本が攻めてこなければこの戦争は起きていないのですから、この戦争の全責任が日本にあることは明らかです。
 当時から世界の国々は、このような侵略戦争を禁止していました。日本はこの約束に違反して「平和に対する罪」をおかしたのです。
 しかも日本から「戦争を始める」という手紙が届いたのは、真珠湾攻撃が始まった後でした。われわれは、このようなひきょうな不意打ち攻撃を断じて許すことができません。
②日本は中国を侵略した
 日本の平和に対する罪は、中国への侵略にもあてはまります。侵略とは、理由もなく一方的によその国に攻めこんで、そこを自分のものにしてしまうことです。満州事変も日中戦争も、日本の戦争はすべて自分勝手で強盗のような戦争でした。
③日本は東南アジアにも侵略した
 さらに、日本は、イギリス・オランダ・アメリカの植民地だったビルマ・インドネシア・フィリピンなど、東南アジアにまで侵略してきました。そして、西洋諸国が築き上げてきたアジアの平和をやぶったのです。それは、東南アジアにおける西洋諸国の正当な権利をふみにじり、東南アジアを、自分たちの利益のために支配しようとして行われたものなのです。
【戦争犯罪】
●日本は戦争犯罪を犯した
 日本軍は、いたるところで戦争のルールをやぶり戦争犯罪をおかしました。中国や東南アジアのふつうの市民を殺したり乱暴したりしたのです。なかでも南京大虐殺はひどいものでした。何万人もの市民が、日本軍によって残虐に殺されました。これは、国際社会が決めた戦争のルールに違反した恐ろしい犯罪でした。
 それ以外にも、日本軍の戦争犯罪はたくさんあります。日本軍が東南アジアを占領したとき、わが連合国の捕虜たちが日本軍によって虐待されました。フィリピンでは、大勢の市民が殺されたり、暴行されたりしました。これらの戦争犯罪に責任のある被告たちが、有罪であることは明らかです。

弁護側の意見(日本)
◆被告は無罪だ
 この戦争の責任がすべて日本だけにあるという検察側の主張は認められません。弁護側は被告全員の無罪を主張します。
【平和に対する罪】
①日本は自衛戦争を戦った
 日本の戦争は、自分の国を守るための戦いであり、侵略戦争ではありませんでした。これまでも今も、世界の国々は、国を守る自衛戦争を禁止したことはありません。わが国は資源にとぼしく、西洋諸国のようにたくさんの植民地もありません。貿易しなければ生きていけない国でした。その貿易の道を閉ざして、日本が生きていけないように追いこんだのは、アメリカをはじめとする連合国のほうなのです。日本は、生きるために、やむなく戦争という手段にうったえたのです。この戦争の責任は、わかっていて日本をそこまで追いつめたアメリカにあるのです。
 「戦争を始める」という手紙は、攻撃が始まる前に届くように送られていました。届くのが遅れたのは偶然の結果であり、ここにいる被告たちの責任ではありません。
②中国にも責任がある
 中国との戦争についても同じです。わが国が日露戦争で手に入れた南満州鉄道や鉱山を経営する権利、そこで日本人が生活する権利などは、中国も条約で認めた正当な権利でした。それが中国人によって攻撃されたり、日本人が殺されたりしました。満州事変は、この日本の権利と日本人の命を守るために始まったのです。
 また日中戦争は中国軍が始めた戦争であり、日本は受けて立っただけなのです。
③東南アジアを日本の領土にしようとしたのではない
 日本が、東南アジアを支配していた西洋諸国と戦ったのは、アジアにアジア人による秩序をつくり出そうとしたからです。日本はアジアから西洋の植民地をなくそうとして戦ったのであり、そこを自国の領土にしようとしたのではありません。
【戦争犯罪】
◆すべての国が戦争犯罪を犯した
 南京大虐殺は事実とちがうので認めませんが、わが国の軍隊もときにルールを守らなかったことがあったことは認めましょう。しかし、それは戦いの混乱の中で起きたことであり、被告たちが命令したことではありません。戦争犯罪は、日本だけがおかしたあやまちではなく、連合国もまたその罪から逃れられないのです。東京大空襲が計画的な市民の大量虐殺であったことは明らかです。また原子爆弾ほどむごたらしい戦争犯罪があるでしょうか。さらにソ連は、戦争が終わった今もなお、日本人捕虜をシベリアで虐待し、多くの日本人が死んでいます。これらの連合国がおかした戦争犯罪は、いったい誰が裁くのでしょうか。

 読み終えて、次のように指示した。
『両方の意見を読んだ感想をノートに書きなさい』
ここで予想通り一つの質問が出された。
「どっちかの立場に立った意見を書くのですか?」
 仏教伝来の授業以来、こうした討論形式の資料を経験してきた子供たちだが、今回は立場を選択して討論するという展開を考えにくかったのだろう。私もまた、今回は検察側と弁護側に別れた討論が成立するとは考えてはいなかった。
『どちらかの立場に立った意見でもいいですし、そうでなくてもいいです。両方を読んでみた感想や考えを聞きたいのです』
 子供たちはこれまでにない真剣さでノートに向かい、教室は静寂に包まれた。が、ふだんのようには鉛筆が動かない子もいた。やはり事柄の重さだろう。私はいつものように子供たちの机の間を周りながら、しかし、いつものようには子供たちの文章をのぞき込む気になれなかった。どんな感想が出てきても、たとえ資料を読み取れていないような意見が出てきても、今回だけはすべてを認めようと思っていた。
『あと一分です。残りは発言するときに付け加えてください』
 私の声に顔を上げた子供はいなかった。
『ではそこまで。どうしてもまだ時間がほしい人?』
 十名ほどの手が挙がった。
『ではあと三十秒。まとめてください』
三十秒がなぜかとても長く感じた。
『はいそこまで。話し合いの形になります』
 子ども達は、互いの顔が見えるようにコの字型に座席の向きを変える。動きが止まったところで、子供たちを見渡してから指示した。
『今日は立場がある人も、ない人もいると思いますから、自由に出てくれていいです』
 私が第一発言者を指名して感想発表が始まった。発言した子が次の発言者を指名するというリレー発言である。自分の考えを持ち、それをみんなに伝えることが大切だということを、一学期からずっとやってきた。歴史の授業もいよいよ大詰めである。今回も時間の許す限りなるべく多くの子どもの言葉を聞きたかった。こうして、三十五人中、自ら挙手して発言を求めた二十七人が次々と思いを述べていった。
 ここではその中から十人の発言を紹介してみる。担任にとっては一人一人の言葉のすべてがうれしいのだが、それを並べたのでは内容の重複が煩わしく、はなはだ読みにくいものになるからである。
「アメリカや他の国はまちがっていると思う。自分たちは広島や長崎に原子爆弾を落として何十万人もの人を殺したのに、なんで日本だけが裁かれなくてはいけないのかと思った。それに南京大虐殺なんて事実とちがうのにと思った。日本に平和を守ろうという気持ちがなかったわけではない」
「アメリカも日本もやったことはどちらも悪いと思います。日本もルールを破ったのは悪いけど、アメリカもこうなったことには責任があるんだから、どっちもどっちだと思います」
「検察側の意見だけ聞くと日本ばかりがルールを破っていて悪いようだけど、弁護側の意見を聞いて、それはちがうと思った。日本もルールを破ったのを反省しなければいけないけれど、戦争に加わった連合国も原爆を落としたりしてルールを破っているので、連合国側も反省するべきだと思う」
「日本もアメリカもどっちもどっちと思われるが、やっぱりアメリカはちがっていると思う。真珠湾を攻撃したのもアメリカが貿易を止めたのが悪い。日本が戦争を始めるのが遅くても、どうせアメリカは攻めてきたような気がした。中国との戦争にも日本を守るという意味があったし、原子爆弾や東京大空襲はズルイと思う。ぼくは断じて日本を応援したい」
「ぼくは両方とも言っていることは正しいと思う。だけど、日本だけがルールを破ったわけじゃないのに、日本だけを被告にするのはおかしい。連合国が貿易の道を閉ざして日本が生きていけないようにしたんだから、そのために日本が戦争を行ったんだからしょうがないと思う」
「私はアメリカのほうが悪いと思う。どこの国にも間違いはあるし、大量虐殺をした国は他にもある。日本だけに罪を与えるのはまったくもって不平等だと思った。やっぱり日本は差別されているように感じた」
「アメリカは日本が一方的に悪いといっているが、アメリカも東京に大量の爆弾を落とし罪もない人をたくさん殺している。広島に原爆を落とし何万人という人を殺している。アメリカは日本だけが悪いとは言えないと思う」
「両方の意見を聞いて、私は日本側の意見が正しいと思った。日本側は過ちを認めているし少しは反省している。でもアメリカ側は一方的に日本が悪いと決めつけている。アメリカ側は日本の住民を無差別に殺している。そんなことをしているアメリカ側も罪を負うべきだと思う」
「ぼくは両方の意見がよくわかった。しかし、日本が一方的にいけないということではないと思う。日本もルールを破ったのは確かだけど、原子爆弾はものすごい力がある。国民もいっぱい殺してしまった。連合国の意見もわかるけど、やはり連合国のほうが悪いと思う」
「二つの意見を読んで、アメリカのほうが悪いと思いました。最初に攻撃したのは日本だけど、日本の国を守るためだからしょうがないと思いました。連合国側だってふつうの市民をたくさん殺したので、アメリカのほうが悪いと思いました」
 両方とも悪いという感想がある。原爆や東京大空襲の残虐を指摘して日本よりもアメリカの方が悪いという感想がある。日本を応援したいという強い言い方もある。論点については、東京大空襲や原爆の学習の印象が強かったのだろう、戦争犯罪について述べたものが多かった。また、開戦責任に触れて日本の立場を弁護した意見もあった。
 ポイントは、両方悪いとしたら一方的に日本だけを被告にするのはおかしい、この裁判は不平等だという意見である。子供たちは戦争を肯定しているのではない。戦争を行う国の責任は大きいと考えている。それが両方悪いという主張になる。だからこそ、ここで戦争の責任が問われるというのなら、公平に裁かれなければならないと主張するのである。これは「勝者の裁き」であった、東京裁判の核心をついた批判だといえるだろう。
『はい。ちょっと時間が迫っていますから ここで打ち切りましょう。どうしても出しておきたい意見はありますか?』
この問いにさらに二名が立った。
「戦争になるのがわかっていながら、日本を追い詰めてきたアメリカは、日本よりも先に戦いを仕掛けていたことと同じだと思いました」
「アメリカも日本も相手が悪いと言っているが、どちらも悪いのだから、両方が裁かれなくては裁判の意味がなくなると思います」
 公平な資料で検察側と弁護側それぞれの言い分を追いながらも、やはり子供たちの多くは日本人としてこの裁判をとらえようとしたのである。
 

3 東京裁判を「裁判」として検討する 

みなさんの思いはよくわかりました。これまでの授業とは違って、ほとんどの人が同じような考えを持つ結果になったようです。しかし、少数ながら少し違う考えの人もいました。今回も、お互いの意見の違いを尊敬しあえることが大切です。
 また、この資料は二年半の討論のすべてを考えればまったく不十分なものです。しかも、判断のために絶対必要な証拠、検察側の証拠も、弁護側の証拠も、この資料には書かれていません。証拠のない単なる意見は、いくら本当らしく見えても、ウソかも知れないのです。ですから、今日のみなさんの感想もあくまで仮のものだと考えておくことにしましょう。大きくなったら、ぜひくわしく調べてみてください。
 前の授業でも話しましたが、歴史というのは、ほんとうは、今日みなさんが主張したような「良いか悪いか」「善か悪か」という見方がふさわしくないものなのです。今日は「裁判」の感想であり、裁判とは良い悪いを判断する場ですからそれでよいのですが、「裁判」と「歴史」とは違うということを心にとめておくことにしましょう。
『それでは次に、判決を調べてみましょう。どんな 判決が出たと思いますか?』
「日本は無罪になったと思います。どうしてかというと、両方に悪いところがあったからです」
『それでは聞きます。無罪になったと思う人?』
 この問いに挙手したのは九名にすぎなかった。
『有罪になったと思う人?』
 残りの二十六名が挙手した。
『理由がありますか?』
「裁判官は日本ではなくアメリカがやっているんですけど、平等に行うからと言っても、アメリカは自分のほうが一方的に正しいと思っているから、有罪にしたんだと思います」
『なるほど。それは何かで読んだのかな? まだ裁判官が誰かはハテナ(?)のままになっているのですが』
「被告が日本だけなんだから、裁判官は当然アメリカだと思いました」
『なかなか鋭い推理ですね。では結論を言います。被告二十五人は全員有罪でした。東条英機を始めとする七人は死刑になりました。」
 「ウァー」と、むごいなという感じの声があがった。 
被告が二十五人というのは正しくない。実際に起訴されたのは二十八人で、松岡洋右など三人は裁判中に病死するなどして判決が出たのが二十五人だったのである。
『それから十六人が無期懲役。死ぬまで牢屋に入っていなさいという判決でした。残る一人は二十年、一人は七年の懲役でした。これが東京裁判の判決でした』
 さて、判決を知ったあとは、この裁判が公正な裁判ではなかったという問題点を知るステップに進もう。罪刑法定主義に違反していること(事後法問題)等いくつか本質的なテーマがあるのだが、ここでは、小学生にわかるという規準で二つの問題点を選ぶことにした。「裁判官の不公正」と「証拠採用の不公正」である。
『では、ここまでハテナ(?)にしてきた裁判官がどんな人たちだったかを教えることにしましょう。いまY君が推理してくれたことがほぼ正解なのです。裁判官は本来中立の立場で、両方の意見を公平に聞いて正しい判決を下す、それが裁判というものの常識ですね。実際、この戦争で中立をつらぬいた国もあったのですが、十一人の裁判官はこれらの国の裁判官でした』
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│ アメリカ、イギリス・フランス・オランダ・ソ連・カナダ・オーストラリア・  │
│ ニュージーランド・中国・インド・フィリピン │
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 検察官の国名とまったく同じ国名であることはすぐにわかる。
「ワー、同じだよ!」という声や「やっぱりな・・・」というつぶやきがあった。改めて、確かめておくことにする。
『何か気がついたようですね?』
「全部連合国の人たちです」
 再び、「検察官と同じじゃん」「これなら有罪になるよ」などという声がもれた。
『これはその代表のウェッブ裁判長。オーストラリアの裁判官です』
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│ ウエッブ裁判長の写真 │
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『怒っている人がだいぶいますが、裁判官と検察官がまったく同じ立場の人々だったということは、この裁判のたいへん重要な問題点の一つでした。ほかにもいくつかあるのですが、今日はもう一つだけ裁判の進め方の問題点を教えましょう。これを見てください』
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│ 『東京裁判却下未提出弁護側資料』全八巻・総頁数五千五百頁の写真 │
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 授業では、この実物を見せた。重いので第一巻だけを持ち、残りは箱だけを教卓にならべたのである。
『これは、弁護人が「私たちの言うことは正しい」ということを証明するために、証拠として裁判に出そうとしたのですが、裁判官に取り上げてもらえなかったもの、裁判長によって発表を禁止された証拠なのです。それを研究のために本にしたものです』
 分量のすごさを知ってもらうために、第一巻のページをめくりながら、小さな活字がびっしりと並んでいる様を見せた。
「わあ細かいな」「たくさんあるね」等の声があがった。
『弁護側は、これだけの証拠が取り上げてもらえなくて、出したかった証拠の一部を使って戦うしかありませんでした。ところが、検察側の証拠は、人に聞いた話のように事実かどうか怪しいものまで、証拠として取り上げられました。ということで、裁判官の構成だけでなく、裁判の進め方にも大きな問題がありました。こうしたことから、今では、ほとんどの学者が「この裁判は正しくない」と認めています。裁判で最も大切なのは公正さ、公平さだからですね』

4 東京裁判に対する評価

さて、子供たちは裁判の内容とその不公正さを理解した。世界中の法律家が不公正だったと認める裁判だが、日本国民の中にはこの裁判に高い評価を与えている人々がいる。
 裁判に不公正な面があったのは確かだが、その判決は正しかったし、東京裁判自体に大きな意味があったという主張である。
 私は社会的、政治的なメッセージを含む教材を扱う授業の場合、自分に課している一つの原則がある。それは学説に対立があったり、国民世論に対立がある場合、両者の見解を教えるという原則である。これは、専制国家・ファシズム国家・共産主義国などの独裁制国家の教育にはない、自由主義国の教師だけに与えられた光栄ある教育方法である。自由な、自立した、責任ある個人を育てるためには、この方法が最もふさわしいのである。
 この授業で、検察側意見と弁護側意見の両方を、同じ分量で、論点も揃えて公平に教材化しようとしたのも、そうした理由によるのである。その原則に従って、授業のしめくくりには、東京裁判に対する肯定的な意見と、否定的な意見の両方を示すのである。
『さて、最後に、東京裁判そのものに対する意見を二つ紹介します。一つは、公平でない面があったことは確かだが、この裁判にはたいへん大きな意味があった、この裁判をやってもらってよかったのだ、という意見です。その代表的な意見を紹介しましょう』

 東京裁判に賛成する意見
  この裁判は、世界の平和にとっても、日本人にとっても大きな意味があった。そして、 その意味は今も失われていない。その理由は次の通りである。
①太平洋戦争は、日本が、中国や東南アジアに対して行った侵略戦争だったことが、こ  の裁判で明らかにされた。「自分たちは、本当は悪い戦争に協力していたのだ」と、  日本人が気づくことができたのは、この裁判のおかげである
②日本軍が中国や東南アジアでむごたらしい戦争犯罪をおかしていたことを、日本人は  この裁判で初めて知ることができた。そのおかげで、日本人は自分たちの罪の大きさ  に気づき、深く反省することができたのである。
③戦争中の日本のリーダーたちが厳しく裁かれたことによって、世界中の人々も「戦争  を始めることは犯罪なのだ」と気づくことができた。だから、この裁判は、世界平和  のために大いに役立ったといえるのである。

 子供たちは、なるほどなというようにうなずきながら読んでいた。ここまでの学習では思いつかなかった主張があるからである。しかし、その主張には明らかな虚偽がまぎれこんでいる。すべてとはいかないが、その一部は授業の終末で取り上げることにしよう。
さて、次は批判的な評価である。そう考えて探したが、こちらは肯定論のように単純ではなかった。どんな資料を選ぶか迷ったが、やはりパル判決を示すことにしたのである。
『次にもうひとつのお話です。実は、十一人いた裁判官の中で、インドの裁判官だけは他の裁判官とは違う意見を述べました。裁判の中では発表もさせてもらえず、新聞などで報道することも禁止されたので、日本人には知らされなかった意見です。それを教えましょう。その裁判官はこの人です』
┌───────────────┐
│ パル判事の写真 │
└───────────────┘
 このとき、なぜか子供たちは「オー」という感動の声を上げた。子ども達はその強い意志的な容貌に何ごとかを感じ取っていたのだろう。
『この人はパル判事といいます。インドは長い間イギリスの植民地にされていた国です。パルさんはインド人のエリートとしてイギリスに学び、高名な法律学者になった人ですが、このパル判事が、公平に見れば日本は無罪であるという意見を出したのです。その判決文は厚い本になるほど長い文章ですが、これはその大事なところを要約したものです』

 パル判事の無罪判決
  被告二十五名は全員無罪である。その理由は次の通りである。
①日本の戦争には、侵略的な面もあったが、自分の国を守るという面もあった。
 戦った両方に政治の失敗があったのだから、日本だけが悪かったと決めつけるのはま  ちがいである。
②検察側が言う「日本の戦争犯罪」には、事実かどうか証明できないものが多かった。  たしかに、日本軍も戦争犯罪をおかしたが、それらはここにいる被告たちが命令して  やらせたことではない。むしろその点では、原子爆弾を落とせと命令したアメリカ大  統領こそ裁かれるべきであろう。
③これは、裁判に名を借りた復讐である。日本は戦争に負けたことですでに十分に裁か  れている。その上、戦争に勝った側が負けた側にこのような復讐を行うことは、世界  平和にとってかえって害が大きいのである。
   やがて長い時間がたち、世界の人々が、復讐心ではなく、公平な見方で歴史を見る  ことができるようになった時には、「連合国は正義であり、日本は悪だった」と決め  つけたこの裁判が、正しい歴史の見方ではなかったことが理解されるようになるであ  ろう。

5 最後の二つの問い
 子供たちは、私の朗読を聞きながら、真剣な表情で資料に目を落としていた。そして、子供たちの厳しかった表情が、しだいに穏やかな温かい表情に変わっていくのがわかった。
『では、最後に二つの質問をして授業を終えることにしましょう。まず第一問です。この東京裁判のあと、戦争は犯罪だとわかった世界には戦争がなくなったのでしょうか?』
・なくなった(0人)
・戦争はなくならなかった。(全員)
『みんな正解です。日本の戦争が終わってからすぐに、アジアの植民地ではフランス・オランダなどの植民地から独立するための戦争が起きました。それから後も世界には、三百回とか六百回とか数え方によって様々ですが、この六十年の間にたくさんの戦争が起きました。こうしてみなさんと勉強をしている今も、地球上のどこかで戦っている人々がいます。たいへん悲しいことですが、それが世界の現実なのです』
最後は次の問いである。
『東京裁判の後、世界の国々は戦争があるたびに、東京裁判と同じような裁判をやってきたのでしょうか?』
・裁判を行ってきた(三名)
・裁判は行われなかった(三十二名)
『行われなかったが正解です。理由がありますか?』
「このときの裁判が、戦争に負けた日本だけを一方的に責めたから、もうやらなくなったと思いました」
「パルさんが言ったように、裁判は復讐みたいになっちゃうから、みんなもうやめることにした。戦争が終わったのに復讐をすれば、また戦争になるかもしれないからです」
「こういう戦争に負けた方だけを一方的に責める裁判は、やっても意味がないということがわかったので、もうやめることにした」
『なるほどね。たぶん三人が言ってくれたとおりだと思います。はい、今日はたいへんいい勉強をしたね。たいへんよく考え、すばらしい意見がたくさん出せました。次からは、この東京裁判が行われた日本、アメリカ軍に占領されていた時代の日本について、考えることにしましょう。これで授業を終わります。』
こうして、私にとっては大きな冒険だった授業が終わった。小学生にとって、この教材はかなりハードなものであったにちがいない。しかし、彼らは最後まで興味深く学習し、授業後の学習感想文もいっしょうけんめい書いていた。それらの多くは国を愛する真情にあふれるものだった。
 近現代の歴史学習を通して、子供たちは、平和な世界をつくりたという願いと、日本をより良い国にしたいという願いを育んできた。その願いは、このような歴史の現実の厳しさを学ぶことによってこそ、いっそう深められ、確かなものになっていくのである。
 東京裁判を冷静な目で学ぶことは、国民形成にとってきわめて重要である。これが国民の目から隠されているかぎり、日本国と日本の伝統を嫌悪させるために作られたウソが流通し続けることになる。東京裁判の真実を学びさえすれば、その迷妄は覚めるのである。
 小学生だけでなく、中学生から社会人まで、これを基本的な教養として学ぶことが求められるのである。

◆学習を終えて◆

■私は、日本も悪いことをしたけど連合国も悪いので、日本が一方的に責められるのはまちがっていると思う。確かに日本はルールを破りずるいこともしたけど、連合国の言うことは確かじゃないこともたくさんあると思う。それに、日本の弁護人の意見を全部出させなかったのは、すごく不公平だと思った。でも、インドの裁判官パルさんは、日本は無罪だといったのでびっくりした。パルさんの言ったとおり、連合国の日本への復しゅうも少しあったと思う。
■この三年半にもおよんだ東京裁判は不公平だと思った。実際の裁判の様子は見ていないけど、なんとなく想像できる。日本だけがルールを破ったわけではなく、アメリカなども破っているのに罰を受けないのはやっぱりおかしいと思う。それはやっぱり、インドのパルも言っていたけど、裁判官が連合国だから、復しゅうということだったんだと思う。日本も悪いが、アメリカもそれ以上に悪いと思った。
■この裁判は不平等裁判だと思った。日本も悪いかもしれない。でも連合国も悪い。なのにどうして日本だけが裁かれるんだろう。真珠湾の攻撃も、相手は攻撃してから手紙を出したと言っているけど、本当は手紙を出してから攻撃して、日本は悪くない。でも、日本も関係のない人を殺しているから、確実にこっちが正しいこっちが悪いというのは、中立の立場からは難しいと思う。きっと私がこの立場(中立)でも、どっちが正しいというのはできない。しかし、この裁判は連合国が検察官と裁判官で、日本を一方的に責めているから、裁判ではなく、不平等なだけだと思う。
■この裁判の結果を聞いてすごい不公平だなと思った。とくにアメリカの東京大空襲と原子爆弾はとても許されないことだと思ったのに、なんで日本だけ有罪になるのかなと思った。思えば第一次大戦のとき日本が提案した人種差別をなくそうと出したのも、アメリカにつぶされたから、もしかしたら始めからアメリカにねらわれたのかなと思った。インドの裁判官パルさんは、いい人だなと思った。
■私は日本だけが裁かれるのはおかしいと思った。日本だけが裁かれるのは少し不平等に感じた。やはり人種差別されているようにも感じた。肌に色がついているだけで、こんな大事な裁判でも差別されてしまうなんて、すごくくやしかった。インドのパルさんが言ったことを、日本の人たちが知らないなんてもったいないことだと思った。
■私は、東京裁判のやり方は不平等だと思った。連合国側はアメリカの意見ばかりをとり上げ、日本の意見は全然とり上げてくれなかった。なんか、裁判の結果は、裁判をしなくても決まっていたような気がする。でも、インドのパルだけは、日本の方が正しいと言ってくれた。こういう平等な見方をしてくれる人がいないと裁判は成り立たないと思った。でも、もし日本の意見がみとめられても、こういう裁判はなくなったと思う。日本にも悪いところがあったからだ。この戦争では、本当は両方が悪かったと思う。でも、アメリカのした方が被害が大きかったから、私はアメリカの方が悪いと思った。
■とてもすごい戦いだった。見てないけどなんか想像できる。けど、アメリカが悪いという気持ちは変わらない。日本が真珠湾攻撃したのは、アメリカが日本の貿易を止めてしまったからであり、アメリカが悪い。他の理くつも日本の意見でうめられる。しかも、アメリカは原子爆弾を落とし、東京大空襲までやった。国民を数十万人とまきぞえにしたのだ。これは信じられない。だいたいこの裁判は不利の下で行われた。裁判は正義という感じがしたけど、これは単なる、パルさんが言った「ふくしゅう」である。日本はこのふくしゅうでどうなったのであろうか? また、どうやってもう一度独立できたのだろう?

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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