自由民権運動と明治政府
◆自由民権派は人権派で正義であり、明治政府はそれを弾圧した国家権力で悪だという物語が歴史教育を支配してきた。その誤りを正し、両者が「欧米と対等につき合える国になる」という目標を共有していたことをしっかり教えよう。
1 自由民権運動
◆プリントを読む
自由民権運動
西南戦争が終わったとき、明治日本の偉大な三人のリーダーが、三人とも死んでしまいました。
大久保利通(薩摩)、西郷隆盛(薩摩)、木戸孝允(長州)の三人です。
その後を引き受けたのが、伊藤博文(長州)でした。
伊藤は大久保利通の意志をひきついで「富国強兵」の政治を進めました。明治日本の大目標をなしとげるには、これ以外に進むべき道はありませんでした。西郷さんなきあと、この方針に反対する人はもう一人もいませんでした。
しかし、ここに新しい意見が出てきました。板垣退助(土佐藩)や大隈重信(佐賀藩)たちが、政府に提案した意見です。彼らはこう言いました。
「明治政府のリーダーが、いつまでも長州藩と?摩藩の出身者だけなのはおかしい。西洋と同じように、国民の選挙によってリーダーを選ぶべきである。」
この意見を広めていった運動を、自由民権運動といいます。それは、今の日本と同じような「民主主義」の考え方の第一歩でした。
リーダーを選挙で選ぶようにするためには、次のことがひつようでした。
1 憲法(国の形や政治の進め方を決めた法律・・・国の基本になる法律)
2 国会(選挙で選ばれた国会議員が話し合って、法律や税金の使い方を決める)
【板書】
タイトル「自由民権運動・・・民主主義の第一歩」
・国のリーダーは選挙で選べ→憲法と国会(議会)をつくる
写真1「板垣退助」写真2「大隈重信」写真3「伊藤博文」
明治政府のトップだった伊藤博文は、この意見に賛成だったでしょうか? 反対だったでしょうか?
A 賛成 B 反対
◆AかBを選ばせ、ノートに理由を書かせる。
◆人数分布を板書し、理由を言わせる。
【正解はA】
*伊藤は岩倉使節団に加わっており、アメリカ政府が不平等条約改正の条件として挙げたのが「憲法と国会」であったことをよくわかっていたこと、伊藤が権力を引き継いだ大久保利通の目標も「立憲君主制」であったことを話す。
2 すぐにやるべきか? ゆっくりやるべきか?
◆なるほどそうだと思うところをマークしながら、プリントを読ませる。
板垣退助 大隈重信
・1837 ・1838
~1919 ~1922
・土佐藩出身 ・佐賀藩出身
A【「自由民権運動」側の意見】
急いでやるべきだ。このままでは薩摩と長州出身の一部の者の独裁政治が
続き国民の元気がおとろえてしまうだろう。四民平等ではなくなってしまう
からだ。不公平なリーダーの決め方は、ぜったいによくない。
だから、国会を開いて、国民が選挙で代表を選び、その代表が話し合いに
よって政治を進めるべきなのである。
また、西洋列強は不平等条約の第一の理由に「憲法がなく国会もない」
ことをあげている。日本を、西洋と対等な国にするためにも、一日も 早く
やるべきである。
伊藤博文
・1841~1909
・長州藩出身
B【政府側の意見】
国のリーダーを選挙で選ぶべきだという考えは、政府も賛成だ。
しかし、今すぐそれをやるのは、たいへん危険である。急ぐべきなのは、
富国強兵の政治であり、のんびり話し合って政治を進めるよゆうは、今の
わが国にはないのである。
また、国民はこれまで何百年も、武士の政治にだまって従ってきたので、
政治がやるべき事がよくわかっていない。もしまちがったリーダーが選ばれた
ら、日本の独立もあぶなくなる。国民の教育を進めて、国民が国や政治につい
て理解できるようになってから、選挙を行うべきなのである。
みなさんが彼らの近くにいたとしたら、AとBのどちらを選びますか? 同時代を生きるリーダーとしてAかBを選び、その理由をノートに書きなさい。
◆人数分布をとり、話し合わせる。
*AもBもそれぞれの立場があり得たことを話し、明治政府は【Bで政治を進めた】ことを以下に学んでいく。
2 国会開設の勅諭
板書:明治天皇の約束・・・明治14年(1881)
「10年後の、明治23年に選挙を行い、国会を開きます」
◆国会開設の勅諭を読む。
私は平安時代からゆるんでいた天皇の力をふるいおこし、国を一つにまとめると
共に、立憲政治を進めようと考えてきました。3年前に府県会を開いて選挙を始め
たのも、立憲政治の基礎をつくろうとしたからである。
しかし、国の政治の仕組みをつくる仕事はそうかんたんにできるものではない。
今から10年間、政府も民間もしっかりと準備を進めるようにしなさい。そして、
10年後には、憲法を作り、選挙を行い、国会を開くなど、これまで考えてきたこ
とを必ず実現したいと思う。
自由民権派はどうしたでしょうか?
A:いますぐやれと反対運動を進めた。
B:約束に賛成し、それにしたがった。
◆挙手で意見分布を確認し、数名に意見を言わせる。
【正解はB】
◆全体としてはBだったが、一部に秩父事件などの一揆のようなこともおこったことを話す。
◆板垣退助の『自由党史』から、次を読んで聞かせる。
「自由民権運動の人々も、まるで雷にでも打たれたように言葉を失い、10年後には理想が実現することを喜んだ。そして、政党を作り、選挙のための準備を始めた」
3 まとめ
◆板垣は「自由党」を、大隈は「立憲改進党」を設立し、ただちに選挙の準備に入ったことを話す。
◆伊藤博文は、明治15年、憲法と国会開設(立憲君主制)の勉強をするためにドイツに留学したことを話して、政府側も、自由民権派も共通の目標に向かって大きく一歩を踏み出したことを教え、次の時間につなげる。
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