大久保利通と岩倉遣欧使節団
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1 大久保利通
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│ 大久保利通はどんな人に見えますか? 写真の印象を話してください。 │
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●挙手指名で印象を言わせる。
◆資料1を読む。
大久保利通と明治の国づくり
1 大久保利通は薩摩藩の身分の低い武士の家に生まれました。西郷隆盛とは家も近くでした。二人は、子供のころからいっしょに遊び、いっしょに学んだ大の親友として成長しました。
大久保は父が藩の争いごとにまきこまれて島流しにされたため、若いころから大久保家の長男として家族のめんどうを見なければなりませんでした。貧乏をしながらも、努力して勉強を続け、やがて薩摩藩の大事な仕事をまかされるようになります。そして、幕末の日本の危機のなかで、薩摩藩全体のリーダーになり、西郷さんや木戸孝允(長州藩)らと協力して幕府を倒し、明治政府をつくりました。
大久保は、青年時代から家族のめんどうをみるという責任ある立場で苦労しながら、現実のきびしさを乗り越えて来た人でした。理想はすぐには実現できないことをよく知っていました。明治のリーダーの中では、いちばん政治家としてのねばり強さと責任感があった人です。
明治日本の国づくりの目標をやりとげるためには、ただ元気のいいことを言っているだけではダメだ、一歩一歩きびしい現実を乗り越えていく努力と冷静さが大事だと考えていました。そのために、常に人の意見を最後まで聞くようにしていました。対立する意見があれば、両方の意見を十分に聞いてから、自分が正しいと考える決断しました。
そして、決断したらどんなしょうがいがあっても断固としてやりとげました。だから、大久保は部下や仲間から大へん信頼されていました。大事な会議でそれぞれが勝手なことを言ってさわがしいときでも、大久保がその部屋に入ってくると、何も言わなくても会議室は静かになり、ルールのある話し合いが進められたということです。
2 岩倉使節団
◆資料2を読む
2 明治四年、大久保・木戸・西郷の強力なリーダーシップで、廃藩置県が成功し、日本がほんとうの統一国家になりました。さてこれから「西洋と対等な国」という大目標に向けて急いで新しい政治を進めなくてはならないというときです。岩倉具視を代表として、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文などが世界一周の大旅行に出かける計画がつくられました。
明治政府のほかのリーダーたちは大反対です。
「今すぐやるべき事がたくさんあるのに、なぜ外国に行くのか?」「大久保さん、木戸さんという中心人物が、いまいなくなったら、日本はどうなるのだ」「世界一周なんてのんきすぎる」などです。
しかし、大久保はだんことして言いました。
「今すぐに、私や木戸さんのようなトップリーダーが行かなければならないのだ」
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│ 大久保は、こんな大事なときにトップリーダーが世界を見てくるべきだと │
│ 言っています。どうしてだと思いますか? │
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●考えを発言させる。
●岩倉遣欧使節団について説明し、その目的が2つあったことを話す。
◆板書:岩倉使節団・・・(1)西洋の現実を見て日本がやるべきことを知る(リーダーが)。
(2)不平等条約の改正交渉
◆岩倉遣欧使節団の世界一周の旅を地図でたどる。
3 条約改正の失敗
●資料3を読み、まったく相手にされなかった使節団の悔しさを話す。
3 まず、アメリカに渡った大久保たちは、幕府が結んだ不平等条約を改正する交渉を始めました。しかし、これはまったく相手にされませんでした。
憲法も国会もないような日本と対等な条約は結べないと言われてしまったのです。
大久保たちは、欧米列強と対等につき合うという目標の実現はまだまだ遠いことを知りました。
4 イギリスから学んだこと
資料4を読んで、大久保たちがイギリスから学んだことを知る。
4 この旅から大久保が学んだことを考えましょう。
大久保はまず、イギリスに学びました。親友の西郷にあてた手紙にこう書いています。
「イギリスにあるのは、石炭と鉄だけだ。」
イギリスも資源のとぼしいことでは、日本と同じ小さな島国でした。
では、どこがちがうのか。原料を輸入して、それを機械を使った工場で製品に加工する。それを輸出して多くの利益をあげるのだ。これが、イギリスが豊かになった秘密だったのです。
「工場のいきおいは、これまで想像していたどころではない。どこにいっても、工場のえんとつから黒い煙が空にあがっている。大小の工場があちこちにつくられている。これこそ、イギリスの豊かさと強さの理由だ。」
「蒸気機関が発明されてからたった四十年にすぎない。七つの海を支配するイギリスの豊かさは、たった四十年の変化なのだ」
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│ 大久保利通は、イギリスからどんなことを学んだのでしょうか? │
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●読みとったことを発表させ、次のようにまとめる。
◆板書A:イギリスから学んだこと*工業をさかんにし、鉄道をしき、豊かな国をつくる。
5 ドイツから学んだこと
●資料5を読む。
5 ロシア(いまのドイツ)では、ビスマルクというリーダーに会い、強く心を動かされました。ビスマルクは言いました。
「ついこのいあだまで、ドイツは、たくさんの小さな国に分かれた弱々しい国でした。だから、フランスやイギリスにばかにされ、おどかされていました。表ではれいぎ正しくつきあうように見えて、世界を動かしているのは、実は弱肉強食のおきてです。」
「彼らは、自分に有利なときは法律や条約を持ち出しますが、いったん不利だとわかれば、法律を無視して、軍事力(軍隊の力)にたよるのです。だから、小国が独立を守るためには国が一つにまとまり、戦争の実力をつけるしかないのです。」
「私たちドイツはこうしたことにくやしい思いをしてきました。ドイツを一つの国にまとめ、軍事力を強くしてきたのです。彼らと対等につきあえるようにと願いながら、愛国心を持って、国力を高める長い努力をしてきたのです。そして、今ようやく数十年のがまんが実ってきたばかりなのです。」
大久保の心は感動でふるえました。そして新しい勇気がわいてきました。
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│ 大久保利通は、ビスマルクからどんなことを学んだのでしょうか? │
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●読みとったことを発表させ、次のようにまとめる。
◆板書B:ビスマルクから学んだこと:弱肉強食の世界。軍隊(海軍と陸軍)を強くすること。
「ドイツにできたことが日本にできないはずはない。→強い国をつくる
6 富国強兵の大方針
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│ AとBから、はっきりした大方針ができました。それをなんと言うでしょう? │
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◆「富国強兵」という国づくりの方針が具体化されたことを教える。
7 まとめ
『大久保は帰国して政府の中心となって、富国強兵の実現につとめました。
・政治を進める仕組み。・警察のしくみ・たくさんの工場や会社、銀行、産業をおこした。
・鉄道・通信・郵便の仕組み。大きな港や道路をつくり、地図をつくる。
明治日本の土台づくりは、大久保利通がいなければずいぶんちがったものになったかもしれません』
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