授業感想文通信



日本史ランキング
クリックお願いします!別ウィンドウが開きます

毎回の授業に感想文(B6の罫線用紙をたくさんプリントしておく)を書かせていました。
それを読んで、たまに下記のような「授業感想文+私のコメント」の通信を子供たちに発行していました。
私なりの評価でもあり、励ましでもあり、また、学習内容の深化でもありました。
毎回発行ではありませんが、これも学習効果を高めた方法のひとつだったと思います。


感想文集 40 吉田松陰

■あの時代は大変だった。これらの事件は、全部ペリー(西洋)のせいだ。ペリーが来なかったら、こんな事件は起きないし、平和に暮らせたかも知れない。しかし、ペリーが来たことで、今の日本があるのかもしれないが・・・。(I)

★すべては西洋が日本までやってきて、開国をせまったことから始まっている。そのころ、地球上で、白人に支配されていないところは、清・朝鮮・日本だけになっていた。しかし、白人以外の国では、日本だけががんばったのだ。ピンチになって、私たちの先祖は苦しんだが、けんめいに努力して、そのピンチに立ち向かっていった。そのときから今までは、まだまだいろいろなことがあるが、江戸時代の終わりから明治時代への変化がなければ、いまの日本も、今の世界もなかっただろう。I君がいうように、西洋のあっとうてきなパワーが歴史を動かしたのだといえるかもしれない。

■写真が出てきた。なんか、ごつくて、こわそうで、勉強をよくやる人みたいな感じだった。幕府に任せればいいという意見が多い中で、松陰はちがった。「日本のために働くべし!」と言った。その言葉に感動した。(M)

★江戸幕府にとって「わが国」とは、日本のことだった。日本全体に責任のある政府は、幕府だけだったからだ。しかし、幕府ではない、地方の藩の武士にとっては、わが国」とは自分の藩のことだった。しかし、吉田松陰は、「長州藩のことだけ考えていてはだめだ、幕府以外の全国の武士達も「日本」という大きな全体を考えなければいけない」と言った。それは、多くの武士にえいきょうを与え、藩をこえて日本全体ののために働く、多くの志士たちが生まれた。そのおかげで、日本は変わることができた。もし、幕府だけにまかせていたら、日本はどうなっていただろう?それを思うと、Mさんの言うように、感動しないわけにはいかない。

■吉田松陰が密航をたくらみ、断られたとき、松陰は正直に幕府に自首した。松下村塾では、山県有朋や伊藤博文などを育て、自我もはっきりしていた。考えをはっきり生徒につたえるというところも、中途半端なことがきらいな人だと思った。実際は、明治維新にはかかわっていないけれど、深く考えれば、松陰もかかわっているんだと思った。(A)

★その後の日本を動かした人物の多くが、吉田松陰が教えた小さな塾(松下村塾)から出てきた。高杉晋作、伊藤博文、山県有朋(やまがたありとも)などだ。しかも、松陰がこれらの若者たちを教えたのは、ほんの2年間ぐらいだった。だから、私には、この教育はほとんど奇跡のように見える。国づくりにはすぐれた人物が必要だ。だから、明治維新をなしとげた人物を育てた吉田松陰は、A君の言うように、明治維新に大きくかかわっているといえるだろう。日本のピンチを、自分のこととして考え、命がけで行動する人物を生み出したからだ。



  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

コメント

コメントする

目次