欧米列強はなぜ日本に開国をせまるのか?



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欧米列強はなぜ日本に開国をせまるのか?

●なぜ米国は日本に開国を求めるのか。この授業はそのいみをかんがえる。
欧米列強はあらゆる手段を使って、日本の植民地支配をねらてくる。すべてのアジアできたことが、日本でできないはずはなかろうというわけだ。こうして、日本に亡国の危機が忍び寄ってくる。
ここでは、どのようにしてアジアはことごとく奴隷状態の植民地にされていったのかの事例を学ぼう。
維新の志士たちはその事例から学び、大きな国造りの目標を立て、建設的な決断を積み重ねていく。

1 清国(中国)がイギリスに負けた

■アヘン戦争の絵を見せる。
アヘン戦争

これはペリーの黒船が日本に来る10年前に起こったある事件の絵です。
気づくことを発表しましょう。

*発表させる。
【爆発、遠くに蒸気船(イギリス軍艦)、近くにジャンク船(中国)、戦争、西洋と中国】

◆アヘン戦争について説明する。

 板書:1840~1842 アヘン戦争(イギリス 対 清)

『日本に大きなショックを与えたアヘン戦争とはどんな戦争だったのか、それを説明します』

■児童とやりとりしながら次のことを教える。

1 戦争の原因・・・イギリスが清国に大量に麻薬(アヘン)を密輸したこと。清国に麻薬中毒患者が増え、国内の銀がどんどんイギリスに出て行く。清国人が麻薬患者になっていくことに、イギリス人は何の痛みも感じていない。

2 戦争の経過・・・愛国者林則徐はイギリス商人から、麻薬2万箱を没収して燃やした.その報復のために、イギリスは、軍艦16隻、兵隊14000人を送り、清国を攻撃した。清国の皇帝は、戦うことをおそれて林則徐をクビにしたが、イギリスは清国が降参するまで攻撃をやめなかった。

3 戦争の結果・・・南京条約:多額の賠償金と香港をとられた。5つの港を開港し、清の鎖国が終わった。フランスやアメリカも、中国に圧力をかけて同じような条約を結んだ。

■板書:清国は戦争に負けて開国した(イギリス・フランス・アメリカなど)。
    賠償金と香港をとられた。

『これは明らかに不道徳な戦争だ。麻薬を輸出するなんて、アメリカにもフランスにもやらない。インドにだけこやった。アジア人にあの高貴な「人権思想」を当てはめるつもりは金輪際ないのである。アジア人は、麻薬中毒になって、気が狂って死ねばいいのだ。イギリスがもうかればそれでいい。』

『このように、そのころの西洋諸国の言う「貿易」は今私たちが考える、平和な商売のイメージとはだいぶ違いました。中国や日本は、そういう西洋人の危険を知っていたからこそ鎖国を続け、長い間、自給自足の平和で豊かな国を築いてきたのです。しかし、この時代になると、中国や日本を大砲でおどかしてでも、開国させ、無理矢理にでも貿易をさせようとしました。(砲艦外交)』

西洋諸国は、どうしてこれほどまでに、世界中と貿易をしたがるようになっていたのでしょうか?

*意見を発表させる。

板書:産業革命・・・機械の発明→工場で大量生産

「植民地の安い原料を買って、安い労働力で大量につくり、世界中(植民地も含む)に売って、たくさんもうけて、国を豊かにしたい!(現代のぜいたく病の始まりだ)」

2 西洋諸国はアジア・アメリカ・アフリカを征服してきた。

『5年生の時、日本は貿易をして豊かになってきたことを学びました』

西洋諸国と貿易をした国は、アジアの国はみな豊かになったのだろうか?
A 豊かになった   B 貧しくなった C 支配されてしまった

*人数分布をとり、意見を発表させる。

■資料「ヨーロッパ諸国のアジアの植民地」を見せ、植民地に色を塗らせ、説明文を読む。

植民地(しょくみんち)とは?
イギリス領インドにはインド人が、フランス領インドシナにはベトナム人が、オランダ領東インドにはインドネシア人が、スペイン領フィリピンにはフィリピン人が住んでいた。国もあれば、王様もいた。
そこに西洋人が貿易をしに入ってきた。しかし、いろいろな理由で、さいごは国がのっとられてしまった(植民地)。インドはイギリスの植民地になったが、インド人がイギリス国民になったわけではない。ベトナム人がフランス国民になれたわけでもない。西洋人が大きな農場を経営し、原住民はそこで働くどれいのような立場になった。西洋人が支配者としてよい職業を独占して、原住民は貧しい職業にしかつけなくなった。西洋の文化は入ってきたが、それを学んだり、楽しんだりする立場にはなれなかった。他国に支配されるということは、長い伝統のある国を失い、歴史を失い、人としての誇りを失うことだった。

『植民地がどういう意味かわかりましたか? いま、東南アジアはすべて植民地になってしまいました。アジア諸国が西洋の植民地になったのは、いくつもの原因がありました』

■板書:貿易の競争に負けて植民地になる・・・・産業がない。または、つぶされる。
        戦争に負けて植民地になる・・・・・・・強い軍事力がない
        国内の分裂につけ込まれる。・・・・・・国がまとまっていない

3 まとめ:黒船が来たことの意味を知る

■阿部正弘の写真を貼る。

『ペリーが来たとき、阿部正弘はアジアが支配されていることも、アヘン戦争のこともみな知っていました。しかし、250年の平和を築いてきた日本の生き方をすぐに変えることはとても難しいことでした。その阿部正弘は、ペリーがやってくる来年の春までになんとか結論を出さなければなりません。夜も寝られない日々が続きました』

『前回の授業で、戦って鎖国を守ろうという人もいれば、開国して貿易をすすめようという人もいました。今日わかったことは、鎖国を守っても、戦争をしても、どちらの道も、西洋に支配される可能性があるということです。』

もう一度ききます。みなさんが江戸時代の武士だったら阿部正弘にどんな助言をしますか?
*発表させる。

『今から150年前、みなさんの5代前のご先祖は、まさに日本が滅びるかもしれないというたいへんな危機の時代を生きていました。次回は、2度目にやってきたペリーと阿部正弘の対決のお話です』

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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