浮世絵



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浮世絵
◆浮世絵を通して、徳川の「長い平和」が世界初の庶民のための文化を生んだことを教える。また浮世絵はヨーロッパの近代絵画(後期印象派)に強い影響を与えたことを教える。

1 葛飾北斎と歌川広重
*まず4枚の浮世絵を見せる。カラーコピーでもいいが、できれば復刻版の実物の版画を見せたい。江戸東京博物館などで、1枚1万円ほどで入手できる。

葛飾北斎の連作「富嶽三十六景」から。
1「凱風快晴」
北斎2

2「神奈川沖浪裏」
神奈川沖浪裏

*歌川広重の東海道五十三次」から。
3「蒲原」
蒲原夜之雪

4「庄野」
庄野白雨

*肖像画をはり、作者を教える。
 1と2は葛飾北斎 1760~1849 享年90歳
北斎自画像

 3と4は歌川広重 1797~1858 享年65歳
広重自画像

『この二人は化政文化を代表する絵師です。広重は大先輩の北斎を尊敬し、明治になる10年前に亡くなりました。
1と2は北斎が各地から見える富士山を描いた連作のひとつです。

1は「凱風快晴」という題で、通称「赤富士」とよばれます。凱風とは南風のことで、これは夏の夜明け、朝焼けに赤く染まった富士です。(私は子供の頃御殿場という富士山の麓に住んでいて赤富士をこの目で見たことがある)

2は「神奈川沖浪裏」です。浪の描写が圧巻ですね。浪の裏から遠くに富士を小さく描きました。この絵はフランスの作曲家ドビッシーが自分の部屋に飾っていて、交響詩「海」の楽譜の表紙にこの絵を使っています。

3と4は歌川広重が東海道の宿場町を連作した作品の一つです。お江戸日本橋が1枚目で、53の宿場をすべて描き、最後は上がりの京都三条大橋で、全部で55枚あります。

3は蒲原宿を描いた「夜之雪」です。雪が降り積もってしんと静まりかえった夜、背中を丸めて家路を急ぐ人がいます。

4は庄野宿を描いた「白雨」という作品です。白雨とはにわか雨のことで、いきなりの雨に駆け出す旅人たちの一瞬の様子をみごとにとらえています。斜線を基調とした三角形の構図がその動きをさらに協調しています。広重は雨を描くのが得意でした』

*浮世絵は役者絵や美人画などさまざまな題材があるが、ここでは私が好きな風景画を中心に見ていく。ただ風景画といっても、たんに自然を描いたものではなく、浮世絵では風景の中に見える庶民の生活、人々のくらしを描いている。

この中から1枚あげるといわれたら、どれがほしいですか?

*挙手させてみる。やはり『神奈川沖浪裏』が多い。

今日は、江戸時代に創られた浮世絵について学習します。

2 浮世絵の基礎知識
『では、この浮世絵がどういうものか、もう少し詳しく見ていきましょう』

*まず、歌川広重の連作「名所江戸百景」のうち「亀戸梅屋敷」を見せる。
広重2
『1855年(ペリー来航後2年)、安政の大地震が起きて江戸は壊滅的な打撃を受けます。建物は倒れ、焼け落ちて、あの平和で豊かだった江戸は見るも無惨な姿になってしまいました。広重はその翌年から「名所江戸百景」の筆を執ります。かつて人々でにぎわった江戸の名所、目の前には失われてしまった江戸の名所の長閑で美しい風景を、人々がいつでも思い出せるようにしたいと考えたのです。広重は、名所絵を全部で118枚、亡くなるまでの3年間、渾身の力を振り絞って描き続けました。おかげで私たちは平和で豊かだった江戸の町をこの作品を通して見ることが出来ます』
*この絵はその中の一枚で、「亀戸海屋舗(かめいどうめやしき)」。

*ここで、DVD「美の巨人たち:歌川広重」から、復刻版「亀戸梅屋舗」の摺りの様子を見せる。
(5枚の版木の裏表を使って、10回の摺りがくりかえされる。薄い色から濃い色へ。絵の具は25色使われる。見当という工夫で摺りはずれない。一文字ぼかし、あてなしぼかし、など多様なグラデーションの技法がある。江戸時代は、初刷り200枚だった。)

【解説】「え?これ版画だったの?」という反応がけっこうある。目の前の作品の美しさを見て、それらが多色刷版画であるとはとうてい思えないからだ。動画が手に入らなければ、版木の写真と摺りの過程を移した写真が浮世絵関係の書籍にあるので、それをみせたい。

*絵師が描き、それを彫師が板に彫り、摺師がたくさんの絵の具を使って指定されたように刷り上げる。三者の共同制作だが、彫師と摺師はあくまで職人であり、絵師の作品となった。
*ここで、多色刷の浮世絵を「錦絵(にしきえ)」ということを教える。このカラー印刷の技術は江戸時代のに日本人がなしとげた世界初の技術でした。

 いま、錦絵はいいものだと1枚、数百万円~数千万円の値段がつくそうです。 
 では、広重の江戸時代には、その絵はいまのお金でいくらくらいで買えたのでしょうか?

   A 5百円くらい。 B 5千円くらい  C 5万円くらい

*挙手で意見分布を確認し、正解を教える。

【A】
*およそ16文で、屋台のかけそば1杯ほどの値段だった。いまかけそば1杯500円くらい。

*版画という表現方法で、同じものがたくさん摺れる(大量印刷)ので価格が安くできた。かけそば1杯の値段なら、ならば、普通の庶民がかんたんに入手できる。ここにあるような芸術を、一般の庶民が小遣い銭で持つことが出来た。
これは、たいへんなことで、それまでの絵画芸術は、ふすま絵や屏風絵など、身分の高い武士や裕福な町人のものでした。
それが江戸時代になって、ふつうの庶民が身の回りに絵画作品をもてるようになったのです。

*これは当時の世界ではありえないことでした。江戸の文化は、世界で初めて、芸術を庶民のものにしたのです。
「町人文化」とは、そう言う意味でたいへん偉大な達成でした。

*ただ、浮世絵は、ヨーロッパのように額に入れて大事に飾るような、そういう芸術品ではありませんでした。今でも身の回りにたくさんある、カラー印刷物の始まりだったといってよいでしょう。江戸や大坂の町では、こんなぜいたくなカラーの印刷物がたくさん出回り、庶民の日常生活を飾ったり、役に立ったりしていました。これは当時の世界で、日本だけにあった豊かさだったのです。

   ここまでの話で、実は浮世絵という芸術がなしとげた2つの「世界初」を教えました。
   それは何と何でしょうか?

  【1 世界で初の一般庶民の芸術  2 世界初のカラー印刷技術 】

3 ゴッホに影響を与えた浮世絵

*ゴッホの「タンギーじいさん」の拡大コピーをはる。
ゴッホ2

この絵を見て気付くことを発表しなさい

【背景に浮世絵がはってある。西洋人の油絵であること】

『広重が亡くなる5年前、1853年(ペリー来航)オランダで男の子が生まれました。この子は大人なって画家になりました。 この人です』

*ゴッホの肖像を貼る。
ゴッホ自画像

*ビンセント・ヴァン・ゴッホ(1853~1890)オランダ人、画家、
*代表作として「ひまわり」を見せる。
ゴッホ1

『タンギーじいさんは、画材屋で、貧乏だったゴッホを助け続けました。ゴッホの感謝の気持ちが良く出ている絵です。背景に、ゴッホの好きな浮世絵を6枚飾っています。このうち1枚は広重の絵です。ゴッホが亡くなったとき、家財道具はほとんどなく、トランクが1つ残されました。開けてみると、中からなんと400枚もの浮世絵が出てきました。ゴッホが日本の浮世絵をどれほど大事に思っていたかが分かります』

『ゴッホの絵がいまオークションにかけられると、始めの値段は30億円だそうです。軽く100億円を越える値段のつく大画家ですが、生きている間には1枚も売れませんでした。彼の絵が「新しすぎた」からです。そして、その新しさには浮世絵の影響があることわかってきました』

*ゴッホが浮世絵に熱中する前の絵を見せる。「馬鈴薯を食べる家族」
ゴッホ馬鈴薯

『ゴッホは浮世絵と出会い、衝撃を受けます。そして好きだった広重の浮世絵を模写(まる写し)して、学んでい学んでいます。
*これはさっき見た「亀戸梅屋舗」の模写です。
ゴッホ模写1

*これは、やはり名所江戸百景のひとつ「大はしあたけの夕立」の模写です。
ゴッホ模写2

*これはゴッホが模写した広重の作品。
広重4

『ゴッホは浮世絵を熱心に写して、その色の明るさや豊かさ、構図の奇抜さ陰を描かない平面的な表現と輪郭線など、西洋絵画にはなかった表現に強い影響を受けました。その結果この「ひまわり」のようなゴッホの表現が生まれてきたのです』

『ゴッホは弟テオにたくさんの手紙を書きましたが、その中に浮世絵とそれを生み出した日本と日本人への愛が書かれています』


資料「弟テオにあてたゴッホの手紙より」

「南フランスのアルルは、明るい色彩が豊かな日本のように美しい。水が風景の中に美し いエメラルド色のかげになり、オレンジ色の夕暮れは地面の色を青く見せる。そしてす ばらしい黄色い太陽。まるで、美しい日本の浮世絵の中にいるようだ。」

「日本人が素早く人物の動きの瞬間を描くのは、神経が我々よりこまやかで、感情が純粋だからだ」

「わたし達はみな、日本の絵を愛し影響を受けている。私達はフランスの日本人だ。」


*ゴッホだけでなく、当時フランスで活躍していた画家たち、モネ、ドガ、セザンヌ、ロートレックなども、みな浮世絵を愛し影響を受けていたことを話す。

4 まとめ
『1999年、アメリカの「ライフ」という雑誌が「この1000年間で最も偉大な仕事をした世界の人物100人はだれか?」というアンケートをやりました。回答者はアメリカ人です。たった一人、日本人がこの100人に入りました。それは葛飾北斎でした。このアンケートで芸術部門のランキングもあったのですが、世界一すぐれた風景画に、授業の最初に見せた葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」が選ばれました』

『江戸の浮世絵(錦絵)は、世界初の庶民のための芸術でしたが、日本の文化が世界の人々に影響を与えた最初の例でもあったのですね。』

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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