藤原道長と貴族の生活
1 平安時代
*794年(鳴くようぐいす平安京)、桓武天皇によって都が平安京(今の京都)に移さ れた。国の政府が京都にあった時代を平安時代という。平安時代はおよそ400年も続いた。
『894年、日本の国にとってたいへん大きな意味を持つある決定がされました。菅原道真の提案によって遣唐使をやめたのです。834年の19回で遣唐使は終わりました。日本は唐と国としての正式なつきあいをやめたのです。なぜだと思いますか?』
*中国(唐)からはもはや学ぶものがない
『その結果、日本にはどんな変化が起きたでしょうか?』
●国造りが終わった。中国とも対等になった。しかも、中国はもう危険な国ではなくなっ たようだ。・・・・・政治がやることはなくなった!
中国の政治や文化とは離れて、日本らしい文化をつくっていく時代が来た。
→国風文化(世界レベルの国になったという自信)
資料:平安貴族の館(寝殿造り)
2 藤原道長
*藤原道長の肖像画をはる。(966~1027)
*プリント「お話:藤原道長」を読む。
藤原道長の関白への道
藤原氏という一族はあの中臣鎌足の子孫です。平安時代にもたくさんの貴族の家があったのですが、いつの間にかこの藤原氏が高い位を一人じめにするようになりました。かれらの頭をいつもはなれなかったのは、日本の国づくりというよりも、いかにして競争相手に勝って出世するかということでした。
だってもう中国にも追いついたし、文化も世界レベルだし、国ができあがってしまったんですからあんまりやることもないというわけなのです。
ただ国の歴史を書きたしていくことと、法律を世の中の変化に合わせて直していくことは百年ほどやっていましたが、それもやめてしまいます。何しろ世の中は「同じようなこと」のくり返しみたいになっていたからです。
ぜいたくな暮らしをしていた貴族がおよそ百五十人。その中でも殿上人といって、宮廷に上がれるのはほんの二十人。そのトップが摂政・関白という最高の位でした。
藤原道長は藤原兼家の五男に生まれました。藤原家の中でもあまり出世ができそうもない家で、しかも五番目の男の子ですから、摂政・関白など夢のまた夢でした。
でも負けずぎらいで勉強もよくする自信たっぷりの青年に育っていきました。二十歳の時、兄弟できもだめしをしたそうです。雨のしとしと降る月のない夜でした。兄たちは「化け物が出た」「ヒヒヒという魔物の声がした」などと逃げ帰りましたが、道長だけは「何事もなかった」とすずしい顔でしょうこの品を持って帰ったそうです。ただ者ではないという評判になったといいます。
道長は二十二歳で結婚して男が五人、女が五人生まれます。
★はい、ここでクイズ①です!★
〈道長は男の子と女の子、どっちが生まれた時に大喜びしたでしょう?〉
●問題①の正解「女の子」
*通い婚、母系制について説明。
*娘を天皇のお后にする。その夫婦に皇子が生まれ、一緒に暮らしたこの皇子が天皇になる。
*道長の娘たちの系図を示し、天皇の外戚として栄華を極めた藤原道長について解説する。
その後どういう風のふきまわしか父の兼家が摂政になり、道長も少しは出世していきました。が、どうやっても五番目ですからトップにまで上りつめるなんて夢のまた夢のはずでした。しかし運命とはおそろしいものです。はしかの大流行で兄たちが死んでしまった。こうして最後の競争相手は藤原伊周ただ一人です。
ときの一条天皇は迷いました。というのも、母が道長の姉さんで、おきさきが藤原伊周の妹だったからなんですね。でも結局お母さんの言うことを聞いて、道長をトップに選びました。
藤原伊周はあきらめきれずに、道長にいろいろといやがらせを始めました。そしてとうとう島流しにされるような大犯罪を起こしました。
★はい、ここでクイズ②です!★
〈 藤原伊周の大犯罪はどれ? 1 殺人 2 傷害 3 呪い 〉
●問題②の正解「3 呪い」
*平安貴族は後に見るように呪術的な世界に生きており、悪霊の力、神仏の力は現実にあると信じられていた。人に呪いをかけるのは重大な犯罪だった。
長女の彰子(しょうし)は十二歳で一条天皇のおきさきになり、やがて男の子が生まれました。この皇太子は道長の孫にあたります。母親の家である道長の屋敷ですくすくと育ち、十一歳のとき後一条天皇になりました。そしてこの後一条天皇のおきさきになったのが、またもや道長の三女の威子(いし)でした。天皇が自分の孫でその妻も自分の娘! もうだれも道長にかなう者はいなくなりました。
道長五十三歳。得意の絶頂にあった道長の歌を紹介しましょう。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
*歌を解説する。
3 貴族の仕事と生活
*プリント「貴族の仕事と生活」を読み。( )に入る言葉を考える。
平安貴族の生活と考え方
【貴族の一月の仕事】
元旦 天地、東西南北、天皇の祖先などを礼拝する。
おもな貴族が天皇に新年のあいさつ
二日 新年を祝う宴会(えんかい)
三日 皇后や皇太子と宴会
五日 貴族の出世を決める会議
七日 宮殿の前を白馬をひいて通り、魔物をはらう。終わったら宴会。
八日~十四日 七日間、僧を集めて国のために祈らせる
十五日 七草がゆを食べる
十六日 足をふみならしながら踊り歌う会(神に祈る意味がある)
十七日 弓を射る会
十八日 弓の名人に試合をさせる会
二十一日 学者などをよんで詩を作らせる会
【貴族の朝のきまり】
・起きたら、自分の( )を七回となえる。
・次に鏡で顔を見る。
・次に暦を見て今日の( )を知る。
・次に歯をみがき、西を向いて手を洗う。
・次に( )と( )に祈る。
・次に日記をつける。
・次にかゆを食べる。
・次にかみををとかす。ただしこれは三日に一度にする。
・次につめを切る。
・次に体を洗う。ただしこれは五日に一度にする。
【貴族の暦】
●平安時代の科学者「陰陽師(おんみょうじ)」や「天文博士(てんもんはかせ)」が、星空を観察して、暦をつくった。
●暦に書いてあったこと
・凶日
・吉日
・結婚はよいが葬式は良くない日
・悪い方角
・風呂に入っても良い日
・外出してはいけない日
・帰宅してはいけない日
・一日に体を洗うと( )する。
・八日に体を洗うと( )する。
など
【ふだんとちがうことがあったら】
●流れ星があった
●たくさんの鳥が集まっていた
など
↓
・悪いことが起こる前ぶれだ
↓
・占いでどんな不吉なことが起きるのかを知る。
↓
・それを防ぐために、神に祈り、おはらいをした。
●( )の中は、順番に、星の名、吉凶、神、仏、長生き、早死に、が入る。
*国のしくみが完成し、外国と交流・軋轢もなくなる。政治に創造性は求められなくなった。ぜいたくな生活の中で、人間の力ではどうにもならない運命、病気、悪霊などを実感し、ただひたすら神仏にすがっていた。
『平安時代の貴族たちが考えた理想の人物とは?』
*美しい顔や姿、人柄の優しさ、学問や教養、美しさを感じる心、詩や短歌がうまい、舞いが上手など。
4 まとめ「平安時代の日本の変化」
*国が完成して、中国との交際もやめた平安時代の日本
①日本の国のかたちができた
★国の中心は天皇(国をひとつにまとめ、国の平安を神仏に祈る)
★朝廷の実際の政治を動かすのは貴族(たち)
②国の政治が変わった
国づくりの創意工夫や努力が終わり、毎年同じ儀式や行事や遊び(伝統文化)を繰り返すことが貴族の仕事になった。
コメント
コメント一覧 (8件)
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この記事わかりにくいです。
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xxx様、コメントありがとうございます。突貫工事でやてますので、他にもあると思います。ゆとりができたら修正していこうと思いますので気長に見ていただければ幸いです。
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とてもわかりやすく、授業で、いっぱいはつげんできました!!
ありがとうございます!!
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%name%さん!なるほどです。
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[太字]太字の文[/太字]クイズ形式で、問題を出してもらったり…
とても分かりやすかったです[絵文字:v-407]
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コメントありがとうございました。
またのぞいてみてください。
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すごい!
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ありがとうございます。