中大兄皇子2「白村江の戦い」



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中大兄皇子2「白村江の戦い」
●この授業は、朝鮮半島が日本にとって非常に大きな戦略的な意味を持っていることを扱っています。この半島が侵略的な勢力に支配されるとき、日本の安全はいちじるしく脅かされます。このテーマは、白村江の戦いに始まり、元寇、日露戦争、日韓併合とくり返し現れ、その意味は現在も変わっていません。歴史を教えるとき、授業者がそうした連続性の自覚を持っていることが重要ではないかと考え、この授業をつくりました。おもしろいと思ったらやってみてください。そうでなければ、やらなくても小学校ではこまらないと思います。

1 朝鮮半島の戦略的な意味
【資料:分割した地図】
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 地図A/B/Cを貼る・・・『この地図には足りないものがあります。何でしょう?』
 *朝鮮半島である。
*地図「朝鮮半島」を貼る ←→ 取る。

〈朝鮮半島は日本列島と中国大陸を結ぶ(    )である〉
 
『この文の( )に言葉を入れなさい』

発表させる。

〈朝鮮半島は、中国大陸と日本を結ぶ(橋、道、渡り廊下など・・・)である〉

『これまで、この橋を通って、いろいろなものが日本に渡ってきました。何ですか?』

 *米作りや金属をつくる技術、文字、仏教など、中国の進んだ文化や技術

 *戦争、武器

『これらは日本にとってプラスになりましたか?マイナスになりましたか?』

●考えを発表させる。

『見方はいろいろあっていいでしょう。のどかな縄文時代が終わってしまった。美味しいお米を食べるようになった。何よりも日本の国がつくられ発展を始めた。今日は、大化の改新の時代の国際情勢を見ながら、朝鮮半島が日本の運命に対して持っている大きな意味について考えてみましょう」

2 百済が滅びた
【プリント資料「地図①②」】を配る。
『まず①の地図を見てください。唐・高句麗・新羅・百済・日本がある』
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『中大兄皇子が大和の国のリーダーになった頃、朝鮮には3つの国があり、大和朝廷の日本統一と国づくりに影響されて、それぞれが朝鮮半島の統一をめざしていました。一方、大帝国唐は朝鮮半島を支配したいと考え、3国の中で一番遠い新羅に目をつけて同盟を組びました。唐と新羅の思わくを書いておきましょう』

唐・・・・・朝鮮半島を支配したい
新羅・・・・朝鮮半島を統一したい・・・日本の統一と国づくりに影響されて

●唐と新羅が同盟・・・・・・・・遠交近攻(はさみうち)戦略を教える。

『その結果どうなったでしょう?地図の②を見てください』
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 659年(33歳)・・・百済がほろぼされた

『長く続いてきた百済の国が消えてしまった。滅びたのです』

3 百済を助けるべき否か?
 ●以下のお話を聞かせる。


 百済は大和の国(日本)とは長いつきあいがありました。仏教を伝えてもらったり、中国の進んだ文化の多くはこの国から入ってきました。その百済が滅びたとき、百済のリーダーたちやその家族がたくさん日本に逃げてきました。その中には、百済の国の王子もいました。王子は中大兄皇子に頼みました。
「かの地には、百済の武将たちがまだ残って戦いの準備をしています。もう一度、百済の国を立て直したいのです。どうか私たちの戦いを助けてください。」


 
『中大兄皇子は、2つの考えの間で真剣に迷いました。皇子の決断はどちらだったでしょうか?』

百済王子の願いに対して、百済を?    A 助ける    B 見捨てる

*AかBに挙手させ、意見分布をとり、それぞれの理由を発表させる。
*皇子の決断「A」を教える。

4 白村江の戦い
『中大兄皇子は百済を助けるという政策を実行に移しました。天智天皇は27000もの大軍を400隻の船に乗せて朝鮮に送りました。』

わが国の軍船400隻と唐の軍船170隻が、朝鮮半島の白村江で激突しました。
どちらが勝ったと思いますか?

*勝ったまたは負けたに挙手させる。

●DVD「白村江の戦い」(NHK「そのとき歴史が動いた」)を見せる。戦いの様子と戦いの後の日本の動き見せます。動画がなければ、おおよそを物語る天智天皇に即位し大津宮に遷都したことなど。

663年:白村江の戦い(37歳)  敗戦
敗戦後、天智天皇は、国の守りを固めた:水城、山城、大津宮

『残念ですが、大敗北でした。百済のリーダーたちの意見の食い違いや、船の構造、作戦などが原因でした。両側からはさみうちされて、わが国の船は次々と燃え上がり、乗っていた多くの兵士は死んで、海は血で真っ赤に染まったと、中国の歴史の本に書いてあります』
【プリント資料「③」】を配る。
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5 戦後の戦略を考える
【プリント資料「④」】を配る。
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『どうなりましたか?』
*高句麗が滅びて、唐が朝鮮半島に攻め込んできた。

『668年高句麗が滅ぼされて、新羅が朝鮮半島を統一しました。すると、ここまで新羅を応援してきた唐は、こんどは新羅に攻め込んできました。最後のねらいは、朝鮮半島の征服です』

668年(42歳)  高句麗が滅び、唐と新羅の戦いが始まった

『わが国に両国から使者が来ました。両国とも「応援してほしい」というのです。唐は200隻もの軍船をつらねて来て、おどしをかけました。お得意の「遠交近攻」戦術です』

  天智天皇はどうすべきでしょう。
A:新羅を応援する   B:唐を応援する  C:中立を守る

*ノートに理由を書かせて、発表させる。意見分布をとる。
『中大兄皇子(天智天皇)は中立を守り、守りを固めました。続く天武天皇は新羅を応援しました。そして、大化の改新後の国づくりの改革を強力に進めていきました』

中大兄皇子(天智天皇)・・・・C:中立(城・水城・防人・のろし)
天武天皇・・・・・・・・・・・A:新羅を応援した

2人ともB(唐と組む)だけは、絶対にダメだと考えていました。それはなぜでしょうか?

*挙手発言で言わせる。
『日本海は自然のお堀であり、要塞です。しかし、もし朝鮮半島がなかったら、中国の進んだ文化は入りにくかったかも知れません。だから、これがあるおかげで日本は発展する刺激をもらうことができました。しかし、この橋は日本にとってたいへん危険な橋でもある。ここに、日本の友好国がいてがんばっていれば、大帝国が日本まで攻めてくる危険は少ないといえます。逆に強大で侵略的な国がここを支配たとき、朝鮮半島という橋は危険な軍隊を運ぶ危険な橋になるのです。そういう危険なときが後の歴史に現実になるときがやってきます。それまで、この授業を覚えておいてほしいのです』

6 敗戦と国づくりの発展
さて、白村江の戦いに負けて、わが国はどうなったでしょうか。

A:大敗戦のショックから立ち直れず、発展が止まった。
B:大敗戦をバネにして、国づくりにいきおいがついた。

●正解はBでした。
『天武天皇は天皇中心の国づくりを強力に進めていきました。そしてついに、わが国は正式に「日本」(国号)を名乗るようになります。そして、聖徳太子の大方針を受けついだ大和朝廷の国づくりは、その後40年ほどで完成します』

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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