古墳時代1「大和朝廷の日本建国」



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古墳時代1「大和朝廷による日本建国」
●前方後円墳の分布や、鉄剣の文字などから、4世紀頃にはわが国が大和朝廷によって統一されていたことを学びます。
これを、わが国の建国としっかり教えましょう。単なる「統一」では感動がありません。
これは日本列島のほとんどの地域が、今日の日本ににまっすぐつながる一つの国家にまとまった、その始原なのです。
ただし「皇室による建国」(大和朝廷の成立)は当然もっと古く、次の時間に教える「神話の中の日本建国」はこの後者の建国を意味します(2~3世紀か)。
いずれにせよ、この国はまだ「日本」ではないなどと茶々を入れるのではなく、やがて国号「日本」を名のることになるわが国、今日まで一貫した連続性のあるわが国が誕生したことを心から感謝感激できるような授業でありたいものです。

1 「前方後円墳」のイメージをつかむ
(1)写真「大仙古墳(仁徳天皇稜)現在の様子」を見る
仁徳天皇陵

『これは何でしょう?』
・古墳、王の墓・・・・
『日本列島に古墳がたくさん造られた時代をなんと言うでしょう』
・古墳時代
『このような形の古墳を前方後円墳といいます。このこの形は日本独自のデザインである。○か×か?』
・正解は○です。
『この大山古墳は世界一大きいお墓である。○か×か?』
・正解は○です(面積では個人墓の世界一)。
【資料】仁徳陵古墳と巨大建造物、大きさ比べ
仁徳天皇陵

【板書】
 ・古墳=王の墓
 ・3~6世紀・・・古墳時代(4世紀が中心)、古墳文化
・日本独自の前方後円墳・・・世界最大の仁徳陵古墳(4世紀)
               縦486m、横305m、高さ35m。

【解説】文明の始まりに人間は巨大なモニュメントをつくった。私たちの祖先もまたエジプトやシナの先祖と同じように巨大な墳墓をつくりました。この小さな列島の祖先が遺したその「巨大さ」が、まさに超世界レベルであったことをしっかりと教えましょう。それは誇らしいことではありませんか。

(2)図「古墳作り様子」を見る
古墳造営図

当時の推定人口は列島全体で500万人程度、大和や河内の巨大古墳はのべ600万人が10年以上かかって作ったと考えられている。
わたしたちの先祖はどんな思いでこの墓を作ったのでしょうか?

  A 支配者に無理やり作らされた。苦しみばかりだった。
  B 王への感謝と祈りからすすんでつくった。喜びがあった。

【解説】この発問をすると、学級は半々か、Bが多い結果になります。それぞれ理由を言わせて「なるほどそうだね」と認め、両方の見方があり得るとしておきます。
 これまで多くの先生方が、古墳は非道な支配者がいやがる民衆を鞭で追い立てて、無理やり作らせた話で教えてきました。
つまりAしか教えなかったのです。
しかし、この物語を私は疑っています。
あの巨大な事業が、当時の技術力と生産力で、強制のみによって出来るとはどうしても思えないからです。
私は、民衆の偉大な王への深い感謝と祈りによってしか成り立たない「巨大さ」であると考えています。
そうとらえるほうが日本人の人間観にふさわしいと考えています。
そこで、この発問を構想しました。児童はBの見方を初めて知るかもしれません。とても大事なところです。
うれしいことに、最近の研究によれば、エジプトのピラミッドも前の鞭の理論では説明できなくなりました。
Aを当たり前だとして、それしか教えないのは、たいへん貧しい人間観(非教育的な)だと思います。

(3)写真「今城塚古墳の円筒埴輪」を見る
円筒埴輪

『円筒埴輪のほかにも当時の様子がしのばれるたくさんの形象埴輪がつくられました。
躍る埴輪
埴輪琴を弾く男子
笑う埴輪

これが出てくるので、今までの時代よりもくわしく生活の様子を知ることができます。展示しますから、これは後でゆっくり見てください。人物埴輪の表情には、古墳をつくった庶民たちの気持ちが表れていると言われています』

【解説】埴輪の素朴な微笑み、笑いは、前述のBの人間観を裏づけているように思われます。

鏡や剣などの副葬品についても触れる。

 写真「五色塚古墳」を見る
五色塚古墳

『これが古墳時代の人々が見ていた実際の古墳です』
・緑の風景の中に、銀色に輝く巨大な人工物、海からもよく見えた。
『倭の国が大きな力をつけ、発展していることが外国から来た人にもわかったでしょう。古墳は王様への感謝や祈りであると共に、発展する国の力を表す物でもありました』
【板書】巨大な人工物→王の偉大な力、倭国の発展を外国に示す。

【解説】私はかなり大人になるまで、古墳というは出来たときから緑の山だったんだと思っていました。私だけかもしれませんが、実は、当時としては超ハイテクな、それまでの風景とは異質な人工物だったのだといイメージをしっかり持たせます。それは歴史が新しい段階に進む象徴でした。

2 日本独自の前方後円墳の分布から国土の統一を知る

資料「前方後円墳の分布」を見る
前方後円墳の分布

★以下の説明をしてから発問する。
・前方後円墳が九州から東北まで全国で作られた。
・巨大古墳は大和(奈良)と河内(大阪)に集中している
  ・前方後円墳は3世紀末頃まず大和(奈良)でつくられた。

このことから、歴史学者は日本に起こった大変大きな変化を推理しました。
ズバリそれは何でしょうか?

・たくさんあったクニがひとつに統一された。
・大和朝廷が日本を統一した。
『最初に奈良につくられた日本独自の前方後円墳が全国に広まっていった。しかも最大の古墳群は大和にあることから、このころ大和朝廷が日本を統一したと考えられています。それは、いまにつながる日本の誕生、日本建国ですね』

【板書】
 大和(河内)にあった大和朝廷(大王)が日本を統一し、
 いまの日本国のもとになる国が建国された。・・・日本建国
   大王(おおきみ)=天皇

『「大王」は「おおきみ」と読み、後の「天皇」のことです。大王(奈良)が日本を一つにまとめたことを示す証拠は他にもいろいろありますが、ここでは2つ見ておきましょう』

・資料「倭王武の上表文」を読む


倭王武の手紙(5世紀)
■最大の古墳が大和地方につくられていたころ、倭王武が中国(宋)の皇帝に送った手紙が、昔の中国の歴史の本『宋書』に書かれています。

昔から、私の祖先は国を一つにまとめるために、みずからヨロイとカブトをつけて、山や川をかけめぐり、東の55カ国、西の66カ国、そして海を越えて北に進み、朝鮮半島の 95カ国をまとめました。
そのため、国王としての力は安定し、国はよくおさまっています。
                                   (5世紀後半=478年)


『この歴史書から、大和朝廷の大王「武(雄略天皇)」が、5世紀には日本を統一していたことがわかります。ちょうど巨大な前方後円墳がつくられていたころです。さっきの推測を裏づける重要な証言ですね』

「鉄剣の銘文」を読む
写真「稲荷山古墳の鉄剣」
稲荷山古墳鉄剣


稲荷山古墳の鉄剣に書かれた言葉(5世紀ごろ)

 この刀はオワケ王がつくらせた物だ。オワケ王の家は代々、大王の宮殿を守る兵士たちのリーダーとして大王につかえてきた。
 ワカタケル大王の朝廷(当時の政府のこと)がシキにあったときも自分たちオワケの家の者は、大王が天下(国)を治めるのをお助けしてきた。
それを記念して、長く伝えるためにこの刀をつくらせたのである。


●ワカタケルは倭王武(雄略天皇)のこと。このころ埼玉県の行田市あたりにあった国の王(オワケ)の家が、大和朝廷の大王につかえていたことがわかる。漢字も使われていたことがわかる。

・資料からわかることをまとめる。

【板書】
★前方後円墳の広がりと武の手紙からわかること
 ・大王(大和朝廷)が九州から東北の豪族たちを統一した
★鉄剣銘文からわかること
 ・ワカタケル大王=武は行田のオワケ王を支配していた。
★両方とも、4~5世紀頃のこと

3 大和朝廷による日本建国(ただし国号はまだ「日本」ではない)
●以上のことから、わが国は、4から5世紀頃、大和朝廷によって統一され、今につながる日本の国ができたと考えられる。これを「建国」という。

日本を統一した大王は、今の日本にいるある人のご先祖様だとわかっています。
 1600年も前の祖先がわかっていて系図があるなんて、世界中探してもこの人
 だけです。ものすごいことですが、さてその人は誰でしょう?

 ・今上天皇である。
今上陛下

【板書】
●4世紀頃、わが国(日本)が建国されたと考えられる。
 ・日本を一つにまとめた人・・・大王(今上陛下のご先祖)
 ・日本を一つにまとめた政府・・・・・大和朝廷

【解説】ここで天皇陛下に登場していただくことによって、歴史とは今の私たちにつながる先祖の歩みであるという尊い一貫性が直感されます。
天皇陛下には125代の系図が残っています。
私たちに系図は残っていないけれども、今上天皇がいらっしゃることによって、この古墳時代にも私たちの先祖がたしかに生きていて、同じ日本列島のどこかで、ワカタケル大王らと運命を共にしていたということがわかります。
日本の歴史を教えるということは、つきつめれば「天皇の国の歴史」を教えることではないかと考えています。
また、このことは歴史を「わがこと」として学ぶということと一体であると考えています。

4 まとめ
日本という名前はまだないが、いまにつながる日本がこの時代に始まったことはまちがいありません。
これを日本建国といってよいでしょう。
古墳だけではなかなか日付までは決められませんが、幸い、私たちの先祖は『日本書紀』という歴史書を遺してくれました。
そこには神武天皇(神話の人物)が初代天皇に即位されて日本を建国した日が書かれています。
それにもとづいて、わが国は2月11日を建国記念の日として、いまもお祝いしています。
私は、毎年2月11日には、玄関に国旗日の丸を揚げて、国の始まりを感謝の気持ちをこめてお祝いしています。
(ここで祝祭日には国旗を掲げるのが日本人の常識であることを教えましょう!)
みなさんも自分の国の始まりに感謝できる人になってください。おかげでいまの日本があるのですから。

次回は、今日学んだ日本建国が神話によってどう物語られているかを学ぶことにしましょう。



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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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